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サラエヴォ包囲をGoogleマップで

ByRem York Maash Haas

5月 17, 2012
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サラエヴォ包囲の舞台を地図で見てみる。

 

セルビア人勢力に支配されていたグルバヴィツァ地区。

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一時期、勢力は丘の上から市街地に下り、街の東西を流れるミリャツカ川まで迫っていた。そこから300メートルの射程範囲のある銃で狙撃を行っていた。

 

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国議会前で行われた平和的デモは、ここホリデイインからの発砲によって終わった。

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空港の近くにはDBトンネルといわれる家があり、セルビア人勢力の目をかいくぐって、サラエヴォに物資を運ぶことができた。


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DBとはトンネルの両端の地名で、「Dobrinja」と「Butmir」。検索するとある場所が出てくるが、書き込みによるとそれは間違いで、正確な場所は
+43° 49′ 33.34
だという。しかし、検索すると同じが出てくる。

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ハプスブルク帝国時代の町並み(西側)と、オスマントルコ時代のエリア(東側)が残るエリア。
ムラ・ムスタファ・バセスキー(Mula Mustafe Bašeskije)通り。黒く丸い屋根のガズィ・ハスレブベグズ・モスク(Gazi Husrev-Beg’s Mosque)が見える。

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この近くのフェルハディ通りで、パンを買うために並んでいた市民が砲撃された。17名が犠牲となった。

 

 

オーストリアの皇太子が暗殺されたサラエヴォ事件の舞台となった
ラテン橋(Latinska ćuprija)。別の橋という噂もある。

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地図に白い点線で境界があるが、これはボスニア・ヘルツェゴビナエリアと、セルビア共和国エリアをわけるもの。
そのままほぼセルビア人勢力の占領エリアとなる。今は大半のセルビア人がこちらのエリアに住み、都市開発を進めている。

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