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「シティ」の入り口は血なまぐさい記憶にまみれている。

ByRem York Maash Haas

6月 30, 2012
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元々のロンドンの中心市街「シティ」。
王族でさえ、その市内に入るために必ず通ったという入り口が「テンプルバー」だ。


テンプルバー・メモリアルが建つ。  より大きな地図で Maash Maps を表示

 

ここは歴史的に血なまぐさい。
シティの西端だったここは、かつて庭園だった。

 

この庭園に咲いていた薔薇が、「薔薇戦争(Wars of the Roses)」に繋がる。
ヨーク家はここの庭に咲いていた赤い薔薇を紋章とし、ランカスター家は白い薔薇を紋章とした。

 

権力争いの象徴となったここはやがて反逆者の晒し場所になっていく。

 

チャールズ一世の首を刎ねたクロムウェルもここで晒されたという。

 

30年後、クロムウェルの意思を継ぎ、王の暗殺を試みた議会派兵士のリーダー、サー・トマス・アームストロングもここに晒された。

 

死体は刻まれ、鳥がついばむことのないよう、塩漬けにされ、30年間、門の飾りにされたという。

その門は今、Paternoster Squareに2004年、再建された。

 


門はセントポール寺院などを設計したクリストファー・レンによるもの。 より大きな地図で Maash Maps を表示

 

 

もともとのテンプル・バーの場所(フリート・ストリート)は、法律関係の事務所が集まっている。

法律のブックストアも多い。

今では晒し首の幽霊よりも、法律絡みの幽霊(首つりホーキンス)のほうが有名になってしまった。

 

このフリート・ストリートを東にあるくと、右側に渋いスターバックスコーヒーがある。

夜、そこでゆっくりとコーヒーを飲んでいると、書類を抱えたホーキンスが、路地裏に走っていくのを見かけることができるかもしれない。

 

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