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泥にまみれた昭和の世界にトリップする 『マイ・ラスト・ソング』

ByRem York Maash Haas

7月 15, 2012
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昭和へのタイムトリップ。

目を瞑ると、昭和を激しく生きた人々の息づかいが聞こえてくる。

ぎゅうぎゅうの船の中で誰かが歌い出した『朧月夜』。その歌声に泣き出した、男たちの涙に共鳴する。

 

子どもはディズニーランドで夢の国に行けるが、30代の私は今日、世田谷パブリックシアターで昭和の国へ行った。

 

久世光彦の著作『マイ・ラスト・ソング』をテーマにしたコンサートは、小泉今日子が『マイ・ラスト・ソング』のエピソードを読み、そこで紹介される歌を浜田真理子が歌う。

4年ほど前に同じ場所で始まったこのコンサートには撮影で参加し、全国各地を巡回している間に公式ウェブサイトも作った。

コンサート自体には第一回以来で、久々の観覧となる。

 

1回目から回数を重ねて進化したコンサートは、昭和トリップの要素を増幅させていた。

小泉今日子がシンプルに、ソファの上でエピソードを語る時点で、会場の人々は昭和の世界を体験する。

昭和に引きずりこんでくれるのは、平成人には思いも付かないような言葉と物語だ。

「泥水を飲んだことのあるような人に歌ってほしい」「恥に恥を重ね、その数が年齢をこえた」など。

 

それは、昭和を強く激しく生きた人々の勲章ともいえる言葉遣い。

現代人が到底たどり着くことのできない、ドラマチックに躍動する人生の言葉だ。

 

 

 

現代人の私が、ドラマチックな世界を知らないわけではない。

 

若い頃に、沖縄の久米島という場所で生活をしたことがある。

昭和40年ごろまで使われた風葬の洞窟があり、日本兵が「敗戦後」に住民を殺害した海岸にさとうきびが揺れる島。

 

緑色に輝く海は都会で病んだ心を瞬殺で癒やし、天の川は薄い雲のように白い。

人々は心は熱く、よく笑い、よく怒り、よく泣いた。

それは、心の底を見せないないちゃー(内地)の人々の生き方とはまるで違った。

私はそこで、何故か彼らと同じように感情が開放的になった。

だから、毎日は自然とドラマチックになる。

 

てぃだ(太陽)を浴びて、朝陽と夕陽をしっかり浴びて、よく遊び、酒を飲む。

喧嘩をしに男が部屋まで殴り込んできたことは1度ではなかった。泡盛の久米仙が人を乱暴にもした。

毎日のように起こる事件よりも楽しさが勝る毎日だったが、それでも、2年もすればその濃い人間関係に疲れ果てる。

 

おかげで今は、武蔵野の駅の近くのマンションに閉じこもり、なるべく人と交わらず、部屋で調べ物をしているのが楽しい。

ドラマを生み出すような濃い人間関係も構築しなければ、泥水も飲まず、恥も重ねない。泡盛の味も忘れた。

 

だからこそ、久世が書いた世界や歌に、憧れのような感情を抱く。

もう二度とそこには立つことができないからだ。

 

 

 

エピソードの詳細は、その著作やコンサートで出会うことができるから、詳しくは書かないが、なかにし礼作詞、三木たかし作曲『さくらの唄』のエピソードには、誰もが心を揺さぶられるだろう。

 

http://youtu.be/ALV4OHM7zik

 

『時の過ぎゆくままに』や、森繁久弥の合唱エピソードも心が震える。

敗戦による朝鮮からの引き揚げ船で起こった『朧月夜』の話は、4年ぶりに聞いても泣けてきた。

 

 

 

 

私はもう、泥臭く生きた昭和にも久米島にも、絶対に戻らない。

戻れない。

敗戦を経験することもない。

 

だから、『マイ・ラスト・ソング』で私は目を瞑る。

昭和の伝説に耳を傾け、昭和の匂いを嗅ぐ。

 

香しいだけではない、泥と恥と涙の匂いを、この胸いっぱいに嗅ぐのだ。

 

 

 

沼畑直樹  テーブルマガジンズ代表

 

 

マイ・ラスト・ソング公式ウェブサイト

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