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アウシュビッツのカメラマンが、再びシャッターを切れなくなった理由

ByRem York Maash Haas

10月 29, 2012
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http://www.dailymail.co.uk/news/article-2224026/The-photographer-Auschwitz-Man-forced-chilling-images-Jewish-prisoners-haunted-death-94.html

 

 

先週23日、94歳で亡くなったフォトグラファーのヴィルヘルム・ブラッセ。

彼はナチスのために、アウシュビッツで5万枚の写真を撮影していた。

中には、医学実験の犠牲者となる人々の写真も含まれているが、これらの写真は後にナチスの戦争犯罪を追求する決め手となった。

 

戦後、彼は再びカメラマンとして生きていくことを決めた。

しかし、再びカメラをにぎり、少女のポートレイトを撮ろうとしたとき、彼は怯えていた。

少女の後ろに、ゴーストのような人々の影を見たのだった。

複数の人々が立ち、怯え、大きな目で彼を見つめていた。

 

彼は写真をやめた。

 

彼は戦前、ポーランドのカトヴィツェで、叔母のスタジオで肖像写真の修行をしていた。

平和な日々は、ナチス侵攻によって一変する。

彼はドイツ人の父とポーランドの母の間に生まれたが、ナチス侵攻時、「自分はポーランド人」とはっきり自覚していたため、帝国に忠誠を誓うことを拒否。ゲシュタポの尋問を受けたあと、ハンガリーに逃亡しようとして国境で逮捕された。

 

彼は4ヶ月間投獄され、その後ドイツ軍の参加をうながされたが、再び拒否。

1940年8月31日にアウシュビッツに送られた。

ちょうどそのとき、SSは収容所内でカメラマンを探していた。彼らはブラッセ氏のスキルをテストし、ドイツ語を話せる彼を採用した。

仕事を得た彼の扱いは、他の囚人にくらべ天国のようだった。暖かさも食事も保証されていた。そして、毎日のように写真を撮り始めた。

 

ある日、悪名高いナチスのヨーゼフ・メンゲレ博士が、ある男性のタトゥーを撮ってほしいと依頼してきた。 後に、そのタトゥーの皮部分が博士のテーブルの上に貼り付けられていたという。

 

メンゲレはブラッセ氏の写真が気に入った。 そのため、メンゲレの人体実験のカメラマンに彼を指定した。

最初に撮ったのは、ユダヤ人少女のグループだった。 15歳から17歳の彼女たちは裸にさせられた。

まわりの男性たちに囲まれて、少女たちは怯えきっていたので、彼は彼女たちを落ち着かせようと最善を尽くしたという。

それが、彼の人体実験写真撮影のはじまりだった。

 

5万人分のネガは終戦時に敷地内に埋められたが、戦後、そこから回収された。

カメラマンをやめた彼は、ソーセージの皮を製造するビジネスをはじめ、成功した。

 

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