「スリラー」30周年 「スリラー」についてまだ知らない10の事柄

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http://abcnews.go.com/Entertainment/10-things-michael-jacksons-thriller-30-years-release/story?id=17827505#

 

12月1日で、マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」が発売30周年を迎えた。
ABCNewsは、「スリラーについて知らない10の事柄」という特集を掲載している。

 

1 スリラーは前作「オフ・ザ・ウォール」のフォローアップ(前作は全世界で2000万枚売れた)として制作が開始されたが、マイケル自身はそうは考えていなかった。
スリラーは前作の失望から生まれたアルバムだったのだ。
当時、ジャクソン家で働いていたブラウン氏によると、スリラー発売前にはマイケルの部屋の鏡に、姉ラトーヤの口紅でこう書かれていたという。
「次のアルバムは5000万枚売る」

 

1984年、グラミーを獲得した同アルバムは、全世界で6511万枚を売った。

 

 

2 ジャクソンはクインシー・ジョーンズとのコラボを継続した。前作でマイケルがクインシー・ジョーンズとの仕事を提案したとき、レコード会社はためらった。
彼はジャズの世界の人と考えられていたからだ。
マイケルは強く彼をプッシュし、後の最強タッグは誕生した。





 

3 二人は700ものデモを制作し、そこから9つの曲を選んだ。
“Wanna Be Startin’ Somethin'”
“The Girl Is Mine”
“Beat It”
“Billie Jean”はマイケル自身が書いた。

ビートイットはマイケルがロスのギャングたちに対して平和を訴えるもので、MVには実際にサウスセントラルのギャングが登場している。

 

4 スリラーの後、最初に出したシングルはポール・マッカートニーとのデュエットである「The Girl Is Mine」だった。
ヒットチャートでは2位を獲得。
マイケルは当時、彼がビートルズやエルヴィスと同じクラスとして考えられていないことに失望していた。

 

5 「スリラー」のMVは、4分間というMVの常識を変えた。ホラーをテーマにしたこのようなミニムービー形式のMVは、当時誰も見たことがなかった。

 

6 「スリラー」は人種の壁を打ち破った。シングル「ビート・イット」は、MTVにおける人種の壁を破る役割をしていた。当時、リック・ジェームスらR&BはMTVに進出しようとしていたが、MTVはR&Bを流すことはなかった。
それは人種差別的だったが、彼らは「ビート・イット」を否定することはできなかった。
その曲はロックやポップ、R&Bをすべて取り入れたスタイルで、音楽と人種の境界を超越したのだった。そして、後にプリンスらがMTVで活躍するきっかけとなった。

 

7 ジャクソンズの「ビクトリー・ツアー」は、マイケルの「スリラー・ツアー」になってしまった。兄弟との最後のツアーで、彼は「スリラー」のプロモートを許された。
キラキラ手袋とスパンコールジャケット、そしてムーンウォークで、「ビクトリー」とは明確に違うスタイルを示したのだった。

 

8 「スリラー」までは、ジャクソン5の子どもが大人になったという感じで、メディアとの関係は良好だった。
しかし、その後彼は外見をいじりはじめ、おかしな行動をとるようになり、彼の才能を薄めるようになった。1991年までに、完全に肌の色を変えた。

 

9 マイケルは、「次のスリラー」を常に追い求めていた。
しかし、「スリラー」は彼にとって最高と最悪のはじまりだった。
華々しいスリラーの欠点は、その成功を二度と上回ることはできないというものだった。
彼は常にそれを追い求め、中毒になっていた。決して終わることのない旅だった。

 

10 スリラーの遺産。スリラーが発売して12年後に生まれたジャスティン・ビーバーは、マイケルのキャリアをモデルにしていると語っている。
クリス・ブラウンはマイケルをアイドルとしている。
マイケルの影響を受けていないアーティストはいないと言ってもいい。
彼はこの世に、信じられないほどの遺産を残したのだ。

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