リチャード三世が駐車場の下に眠っていた可能性あり。

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http://edition.cnn.com/2013/02/01/world/europe/search-for-richard-iii/index.html?hpt=hp_c1
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シェイクスピアに「せむし男」として描かれたリチャード三世が、ある街の駐車場の下に眠っている可能性が出てきた。

場所は、彼が最後に戦った場所からほど近い、レスター。

駐車場からはすでに遺骨が発掘されていて、現在DNAテスト中だ。

 

リチャード三世はプランタジネット朝最後の王で、戦いによって戦死。

戦死した最後の王となった。

 

彼がフランスから侵入したヘンリー・テューダーとボズワーズと戦ったのが1485年。この戦いで見方の裏切りにあい、戦死した。

レスターに戻った遺体は丸裸にされ、リチャード三世の支持者に彼の死を知らせるために晒された。

その後、グレイフライヤーズの修道院に葬られたという。

しかし、その修道院の場所は長い間、「行方不明」になっていた。

 

レスター大学の専門家チームが確信がないまま、ここを発掘し始めたのは、去年の夏。

なぜ確信がなかったのかというと、修道院が解体されたときに、遺骨が川に投げ捨てられたという言い伝えがあったからだ。

そのため、リーダーのリチャード・バックリーは「確立が低いプロジェクトで、建物があった場所も正確に分からないし、埋葬した場所もわからない」とコメントしていた。

 

そのせいか、9月12日にジョー・アップルビーという男性が最初に頭蓋骨を見つけたとき、頭の傷を見て(記録では矢の傷がある)、「スコップなどで傷がついただけかもしれない」と考え、「まだ何も言えないな」と思ったという。

そして、背骨を見つけようと探していたが、そこには腕と脚しかなかった。

三世は脊柱側湾症だったため、背骨の形がキーポイントとなる。

 

すると、別の場所のスタッフから「何かある。見たほうがいい」と声がかかり、「いや、忙しいんだ」と断った。しかし、スタッフは言った。「絶対に見たほうがいい」

 

別の場所に行ってみると、そこには白い布で包まれた残りの遺体があった。

そして、その背骨は明らかに曲がっていた。三世であることをほぼ証明する脊柱側湾症だった。

 

また、驚くべきことに、王の埋葬にもかかわらず、棺はなく、シンプルに白い布で埋葬されただけだった。

発見には困難が予想されていたにも関わらず、掘り始めて数時間しか経っていなかった。

 

あとはDNAの結果を待つだけだが、同じミトコンドリアDNAを持つ子孫は今、カナダにいる。

歴史家のジョン・アッシュダウンヒルが、2004年に子孫の存在を突き止めたのだ。

元上流階級のイプセン家は、リチャード三世の妹アンの直系の子孫。

カナダ生まれの家具職人マイケル・イプセンは、そのDNAを引き継いでいる。そして、彼はこの発掘調査に立ち会っていた。

 

ちなみに、マイケル・イプセンには兄と妹がいるが、ミトコンドリアDNAは母から子に引き継がれるため、妹しかそれを子孫に伝える能力がない。

しかし、その妹には子がいないという。

 

 

 

http://edition.cnn.com/2013/02/01/world/europe/search-for-richard-iii/index.html?hpt=hp_c1
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リチャード三世と、そのDNAを受け継ぐマイケル・イプセン。イギリスからカナダに移住し、ジャーナリストであった母親は5年前に82歳で死去した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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