紀伊國屋ホールで、80年代の映画予告編みたいに切なくなってきた。 『熱海殺人事件』

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紀伊國屋ホールで上演されている『熱海殺人事件』を観てきた。

この作品の映画版を観たことはなく、つかこうへいが存命の頃の芝居も観たことはなく、昨年上演した『(新・)幕末純情伝』が初めてで、今回が二度目のつかこうへい復活作品となる。

幕末〜に続き、熱海でも胸が熱くなり、家にたどり着いた今、気分は小学生。

80年代、同時上映の時代、僕は映画館で、予告編を観ている。

 

 

切ない。予告編がやたらに切ない。

冒険物独特の物語の展開もそうだが、歌が切ない。

当時流行った独特の切ない歌が、物語をドラマチックにさせるのだ。

 

この過激にドラマチックなニュアンスを抱えていたのが80年代の映画だった。
『漂流教室』だって映画自体はとんでもなかったが、予告編ではどれだけワクワクしたことか。主題歌の「野生の風」はとんでもなく切なかった。
『首都消失』だってそうだ。映画公開までは期待に胸を膨らませ続けた。

 





つかこうへいの舞台は、まるでこの予告編だ。
この切なさが最初から最後までパワフルに心を揺さぶる。

 

切ない歌は大ボリュームで、今日の紀伊國屋ホールを揺さぶっていた。

 

やんちゃな火を燃やしたのは誰だ

 

今では、80年代のような切ない映画はない。
たとえば、井筒監督はこの『ガキ帝国』(1981)や『犬死にせしもの』(1986)までやんちゃな主人公たちが強烈に切なかったが、少しずつ時代の影響を受けて主人公のやんちゃ度は薄くなっていく。『岸和田少年愚連隊』(1996)は、まるでやんちゃ映画の最後の残り火のようで美しかった。

昔の井筒映画は、追い詰められた主人公たちが、最後に覚悟を決める。
覚悟を決めて、主人公は愛する人に「じゃあな」と別れの言葉を告げるような感じだ。
「せいいっぱいの青春」「やんちゃなドラマ」。

この頃の映画であれば、井筒作品だけでなく、当たり前のように存在したこのテーマも、今では見られなくなってしまった。

 

「生きてる」ことを激しく実感する感じが、人間臭すぎて、恥ずかしくなってきたのかもしれない。
いろんな理由があるかもしれないが、この「熱さ」は現代から消え去り、今日の紀伊國屋ホールにはあった。

 

たぶん、観たことはないけど、この映画の予告編も切ない。

 

この時代の映画の「やんちゃなドラマ」ムードを生んだのは誰だったのか。

つかこうへい原作のこの映画(『蒲田行進曲』舞台初演は1980年の紀伊國屋ホール)なのか。それとも、『時かけ』や『セーラー服』などを生んだ角川映画なのか(『蒲田』も角川映画)。

予告編に関しては、当時の予告編制作の人の工夫があったのか。

当時は子どもだったから、わからない。

 

映画の評論家なら知ってるかもしれない答えも、謎のままだと80年代はいつまでもファンタジーのままでいてくれる。

切なくて過激な、何もかもがファンタジーだった映画の世界。

 

70年代生まれの大人で、ときどきあのテイストが懐かしくなったら、つかこうへいがすべてを凝縮して待ってくれている。

新たな役者によって、永遠にファンタジーは紡がれていくのだ。

 

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