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パルマの秘密とディ・ミリアの靴。

ByRem York Maash Haas

7月 29, 2013
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パルマの生ハムは美味しいという。

そんなパルマで修行した靴職人・宮島祥郎(みやじまさちお)によるオーダーメイドショップ『Di Miglia(ディ・ミリア)』が神楽坂にオープンした。

その彼が「パルマの生ハムはとにかくおいしい」という。

食べたい。

でも食べれない。

イタリア語を勉強していても、フランス語を勉強していても、イタリアとフランスに行くチャンスは消滅し続ける。

 

スロベニアの海岸でイタリアの街が見える場所を走っていたとき、大雨になった。

すぐそこはイタリアだったが、みんな疲れているし、ホテルに帰った。

 

パリ行きを企画していたら、子供ができた。

家族で海外旅行はとうぶん行けない。

 

だから、パルマもほぼ行かないだろう。

次にプライベートで行くとしたら、ポートランドかアヌシーだろう。

懲りずにまたNYかもしれない。

 

宮島くんは、パルマを選んだ。
なぜ彼は修行の地に、イタリアの多くの都市の中からパルマを選んだのか。
彼の店でその理由を聞いていると、個人的にはいろんな想像をしてしまった。

それは、ヨーロッパに渦巻く民族混合の歴史…。

一人勝手に想像を膨らませてしまった。

 

 

ボローニャ、ナポリ、ヴェネツィア…。
5年前、デザイナーとして日本で働いていた宮島祥郎は、靴職人を目指しイタリアに飛び立った。

 

数ヶ月である程度の語学力を身につけた彼は、イギリスやドイツではない、強烈な「イタリア」を持つ靴店を探して、イタリア中をまわる旅を始めたという。
彼によれば、「イタリア」とは、一言では言い尽くせない、情感のようなもの。
オーラに似たものだ。

それを聞いて、映画『オーメン』を思い出す。
あの映画に出てくる教会が、カトリックに流れるラテン特有の「情感」。

聖母マリアを母とする、母性社会。

そんな靴だとすると、つまりは、聖母マリアの涙さえ感じるような靴か。
聖母マリアが守る社会には、強い家族の繋がりがあり、そのぶんだけ多くの物語が溢れている。
物語が溢れる街で履く靴。

素敵だ。

 

もしあなたがそんな靴を履けば、その靴を履くだけで人生の主役になり、情感豊かな人生になるだろう。
と私は想像してみる。
しかし、宮島がいざ靴探しを初めてみると、街によって「イタリア」はまったく違った。
イタリアすべてが、同じような「イタリア」ではなかったのだ。
特にパルマを含むミラノ圏と、南のローマやナポリは今までさんざん言われてきた通り、違う。

ミラノはパリに通じるところがあり、ローマやナポリは「イタリア」が色濃い。
なぜ違うのか。

 

それは、ヨーロッパの民族構成と密接に関わっている。
ローマ帝国を構成したラテン系民族、主にイタリアとスペインは、今もカトリックが主流だ。
そのキリスト教文化は建物から彫像までありとあらゆるものに影響を与えている。
そして、ラテン民族は今もゆったりとした人生を楽しみ、やはり家族の繋がりが強い。

なまけているのではない。人生を楽しんでいるのだ。

(最近の自分の昼の過ごし方は、完全にラテンに傾きつつある)

 

一方で、ゲルマン民族をベースにしたドイツ、北欧、イギリスはプロテスタントで、デザインに情緒的なものは排除されている。
いわゆるモダンであり、質素でシンプル。
個人主義で他の家族との繋がりは薄く、仕事は精密。隙が無い。
イタリアはカトリック一色だから、すべてが同じ「イタリア」のはずだが…。

 

 

混血都市パルマ

 

宮島祥郎の靴探しの旅も終わろうとしていたころ。

日本で知名度もあるフィレンツェのオーダーメイド靴店で修業がはじまった。
しかし、フィレンツェに住み、修行をするなかで、パルマの『ジャコペッリ』という靴にも惚れ込んでしまった。

ミラノから少し南に下りたパルマで作られるその靴には、繊細さと情感が気持ちよく共存していた。
とても日本人には真似できない、絶妙なバランスと緻密さ。

ラテン系の物作りで欠点があるとするならば、精密さがないところだろうか。
逆の言い方をすれば、堅苦しくない。

パルマはそのどちらでもなく、どちらのメリットもデメリットも含んでいる。

 

それは、完全な「イタリア」ではない…という感じなのか。
どうしてパルマは、「イタリア」一色ではないのかと考えると、イタリアが歩んだ民族の歴史を無視することはできない。

彼らの髪の色を見るとよくわかるだろう。

イタリアはいわゆる単一民族の歴史ではない。
かつて、遠い昔、ローマ帝国は純粋な黒髪ラテン系国家だった。
もしローマ帝国が今も続いていれば、イタリアは今も黒髪民族だったろう。

 

 

しかし、帝国後期、ローマ人自体は、もう戦いたくなかった。

血を見るのは嫌なので、傭兵として今のドイツからゲルマン民族を引き入れたのだ。
彼らは肌が白く、体が大きく金髪で、目が青かった。
美しいうえに戦闘能力が高かったことから、傭兵としておおいに喜ばれた。

 

そして、ローマ帝国はそのゲルマン人傭兵たちによって滅ぼされる。
それが純粋なラテン国家であるイタリアの最期だった。

 

 

その後、ゲルマン人がイタリアの一部を支配したのだ。
パルマは、スカンジナビア半島から来たゲルマン系ロンゴバルド人に支配された。

そこでロンゴバルド人が自らの文化を捨てなければ、今のイタリアもなかったかもしれない。
しかし、彼らはラテン系住民との混血を奨励し、文化はラテン系を取り入れ、同化した。
ミラノなど北部他都市でも同じような現象が起き、完全なゲルマン化は避けられた。
つまりパルマは、ラテンとゲルマンの混血の街。
ラテン気質はいわゆるカトリック気質であり、ゲルマン気質はいわゆるプロテスタント気質だと言っていい。

 

 

宮島祥郎は、フィレンツェから週2回パルマに通った。
『ジャコペッリ』には、やはり、フィレンツェにはない何かがあったのだ。
フィレンツェの親方はそんな宮島にあきれ、
「そんなにジャコペッリが好きなら、行っていいぞ」と彼を送り出した。
パルマのオーダーメイドの靴店(Su Misura)である『ジャコペッリ』の親方はGiacomo Banzola(ジャコモ・ベンゾーラ)。

伝統的な革靴から、クロコダイルやトカゲを駆使した革靴を手がけ、主にVenezia、Roma、Comoといったスーツ店からのオーダーがある。

 

親方は宮島の「完全就職」を歓迎。
宮島のパルマ新生活が始まり、工房で靴作りの毎日がその後3年間続く。

 

店には幸運にもパティーヌ(靴に色をのせる人)がいて、アンティーク仕上げや鏡面仕上げも含めたジャコペッリの真髄を学ぶことができた。
彼はまた、親方の家での日々の暮らしぶりから、イタリア人の考え方、歴史、感覚、ファッションなど「イタリア」を吸収。
そして、パルマの生ハムはとにかくうまかったのだ。
彼はここで、オーダーメイドに関わる大事な要素を学んだ。
靴は一生、愛されるというものだ。

 

『ジャコペッリ』には、お客との作り手との両思いの関係があった。
家族や隣人を愛すという、イタリアの「情愛」が、オーダーメイドというシステムを守り、あの靴たちにオーラを与えていたのだ。
そうして学んだ靴を、今彼は神楽坂で日々作っている。
日本人のような職人気質を持った精密なゲルマンの血と、日本人にはない情緒豊かな感性を持つラテンの血が融合したパルマの靴。

 

 

一度作った靴は、常にメンテナンスが歓迎される。
メンテナンスを無料で受け入れることで、靴は少しずつ歴史を帯び、美しく輝いていく。
それは例えば捨てられることなく家に残り、子や孫に引き継がれていく。
靴底に刻まれた物語は、やがて家族の証となるのだ。

 

 

 

文・Rem York Maash Haas

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