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通り過ぎない。 椅子を置いて過ごすこと。

ByRem York Maash Haas

4月 6, 2016
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桜の日々がもうすぐ終わる。

桜が咲きはじめてすぐ、「人混みの中の花見はしたくない」とハチくんに告げた。

最近はよくピクニックをしているし、そういう静けさが好きだったからだ。

大人数での花見に積極的になれない。

咲き始めてすぐの金曜日、一人で車に乗り、狭山湖近くの野山北・六道山(ろうどうやま)公園に行った。ここは狭山丘陵の谷間が多く残る公園で、里山としての暮らしも覗ける場所。

私は赤坂谷戸と呼ばれる谷間から歩いて丘陵に入っていった。

歩いているのは、私ひとり。

なんの期待もせず、坂をのぼっていく。

 

すると、一本の桜の木があった。

そしてテーブルと椅子もある。

立派に咲き誇った桜を見ながら、ぼーっとした。

弁当も何も持っていなかったから、ただぼーっとした。

一本の木を一人で眺める。

 

 

この公園のスケール、バラエティを知ったのは、このときだ。

スマホで調べてみた。

桜の前には、ハイキングの遊歩道がある。

ここから各谷地に歩いていける。公開されている古民家にも行ける。

標高205メートルの展望台もある。

 

一人、遊歩道を歩いた。

楽しくなってきたので、谷地を下りて車に戻り、里山民家に行き、富士見台という高所まで行った。

奥のほうに、こんもりと半島のように突き出た丘がある。

ここは桜が何本も咲いていて、眺めもいい。

そこに椅子を置いた。

 

私がこの日考えていたのは、スロヴェニアのブレッド湖のような空気を感じたいこと。

行ったことがないけれど、フランスのアヌシーのような気分を味わいたいこと。

だから狭山湖に向かっていたのだ。

六道山公園に辿り着くまに、湖のまわりを走ってスポットを探したが、それは見つからなかった。

 

富士見台は湖が見えない。湖畔ではない。

でも、椅子を置くことで私はここに「落ち着いた」。

なんともいえない、穏やかな気分で桜を眺めた。

どうしてなのかと考えると、

「ここで過ごす」と決めたこと。以外にない。

これからの数時間、ここでのんびりしようと決めたことで、ここの風景をしっかり味わい、眺めることができたのだ。

自然は日本にたくさんある。

でも、ハイキング、遊歩道のように、歩き、通り過ぎると、落ち着きはない。

椅子を置くことで、その自然が自分の場所になる。

私はここでおにぎりを食べ、一人花見をした。

 

キャンプも同じだと思う。

「ここで過ごす」と決めることで、そのサイトが自分の空間になる。

テントをはり、タープをはり、椅子を置くことで自然の風景が自分の場所になる。

別荘を持つことも、花見も同じだ。

 

湖も山の中も、水があり木があり、通り過ぎればただの湖と山だけども、「ここで過ごす」と決めたら、本をのんびり読んで過ごすような、バカンスの空間になる。

この方法を捉えるだけで、自然との付き合い方はぐっと身近になるような気がした。

 

 

 

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