狭山丘陵の「姥捨山」伝説
東京の近場で自然を探したければ、狭山湖と多摩湖があります。
いわゆる村山貯水池ですが、近くには西武ドームや西武ゆうえんちがあり、里山が残る場所としても知られています。
湖の周辺は高台なのでドライブが楽しめるスポットですが、なぜか心霊の噂が多いのがこのあたりです。
実際に事件があったりしているので仕方ない部分もありますが、地元に残る、ある昔話が原因かもしれません。
というのも、まずこの湖が、古くからある村を沈めて作られたということです。1100年ごろから続く村々が沈み、今も湖の下に痕跡があるかもしれません。
その村のひとつに大筋端(おおすじばた)という集落があったのですが、これは半分が湖で、半分が陸地として残っています。
赤で囲まれたところが大筋端集落で、その真ん中を多摩湖通りが走っています。
ここに、行人塚と呼ばれる塚があったのですが、理由は、ここが姥捨山のような場所だったためと言われています。
自分の力で生きていくことができない人が連れてこられる場所なのか、自ら来る場所なのかは定かではありませんが、かなり悲惨な光景だったようです。
そのため、江戸時代(元禄)にお坊さんがここを通った際、「私が打つ鉦(かね)の音を聞いたら、里人よ山にのぼってきて死体をねんごろに葬ってほしい」と村人に頼みました。
お坊さんがここに来て、鉦を鳴らすと、なくなった方がここにいるという知らせだったのです。
村人たちは鉦の音を聞くと、この山に登り、死者を葬るようになりました。
そして、この場所は「行人塚」と呼ばれるようになったそうです。
地図では小さな丸が行人塚があった場所で、道路があった場所が丘の一番高いところになっています。
この道路の上と今フェンスで囲まれている内側(湖側)に行人塚はあったとされています。
江戸時代から明治にかけて、ここでは人魂の目撃説があったようで、簡単に近づく場所ではなかったようです。
今は貯水池建設によって近辺の村が沈み、道路が建設されたことで、当時を偲ぶ面影はありません。
ただ、大筋端の湖部分は、もともと小沢池(古沢池)という池だったので、大部分がそのまま残っている可能性があり、フェンスの向こうには何か痕跡があるはずです。
また、この伝承に出てくる村人たちは、沈んだ湖にあった集落の人々かもしれません。
湖の真ん中を中心に集落はあり、御霊神社や阿弥陀堂があったとされています。
小沢池はそういった集落の田用水だったようです。
そこから大筋端は確かに高い場所にあるので、「山を登る」という感じだったでしょう。
丘陵全体に同じような塚があるとされていて、全体が姥捨山のような状態だったという説もあります。
可能であれば、現代の人々が手を合わせられるような場所があればと願います。
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