1700年代最大のロンドン貧民窟「ルーカリー」とは?

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1700年代のロンドンで「ルーカリー」と言えば、この国でもっとも不潔なスラム街を示す言葉だったそうです。
英紙インディペンデントのサイトには、そのスラム街にまつわる記事が掲載されています。

犯罪者、アルコール依存症、売春婦が集まるルーカリーは、セントジャイルズと呼ばれる場所にあります。
ソーホーの東側、オックスフォードストリートの南側で、近くにはコベントガーデンや大英博物館があり、ロンドンの中心部。

8年前、この街に引っ越してきたジェーン・パームゴールドという女性アーティストがいます。彼女にとってこの街は、いまだ悪の巣窟のままだったそうです。
外にはドラッグの売人がいて、中毒患者がいて、殺人未遂も死体も見たことがある…。

200年以上も前、どうしてここがスラム的だったのか。
まだわずかながら続いている、悪の歴史。
彼女はその歴史を調べはじめました。

スラム化が始まったのは、1700年ごろ。
人口過密状態にあり、アイルランド移民などがまた貸しされた住宅にすし詰め状態で住んでいました。
環境は劣悪となり、もちろんお金のある人は近づきません。

画家ホガース(1697-1764 18世紀英国の肖像・風刺画家)は、当時のメインストリートであるジンレーンが、「ロンドンでもっとも悪名高き場所」と記していました。

偽札鋳造者、売春、移民、麻薬、殺人。
警察も近づきたがらない最悪の犯罪エリア、ルーカリー。

警察によるクリーンナップ作戦なども1800年代から何度も行われていたようです。1845年にはエリアの真ん中にニューオックスフォードストリートを通すために、立ち退きを試み、抵抗する住民との激しい戦いがありました。

そして100年以上が経ちました。

彼女が住みはじめた8年前と違い、最近ではレンゾピアノの建物も建ち、投資も行われ、きれいになってきています。薬物の問題も目に見えてよくなっているそうです。

ロンドンオリンピックを控え、イーストエンド地区の再開発も行われた今、大貧民窟の歴史は消えようとしています。

ロンドンのコニングスビーギャラリーで今日火曜日から6月3日まで、彼女の「ルーカリー」をテーマにした展覧会が開かれるそうです。

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