1974年のゴッドファーザー
アマプラでゴッドファーザー三部作がまもなく観れなくなる。
時間がたてばまた復活するのだろうけど、今日6月26日(2024年)の時点で、あと5日。
私は、この2、3日で三部作を一気見した。
1974年生まれの私は、人生の中で数回ゴッドファーザーを観ていて、特にIIは何度も観ている。
でも、一気に観たのは今回がはじめて。
何度も観ているはずの、この映画をやっと理解できたような気がした。
まず、今回最初に見たのがIIIのディレクターズカット版であるコーダ。
オリジナルは一回、若い頃に観ただけでそれほど覚えていないので、どこがどう違うのかはさっぱりわからない。
が、話の中で出て来る、主人公マイケルのエピソードなど、わからない部分が多かったので、とりあえず最初のゴッドファーザーを観たくなった。
すると、何度も観ているはずのこの映画を、新鮮な気持ちで観ることができた。私はもう50歳になるので、おそらく最後に観たのがもう20年以上前になるのだろう。
忘れていることばかりで、しっかりと独特のスリルを感じることができた。
そして、自分としては好きなパートII。やっぱりデニーロの演じる若き日のヴィトーのパートが素晴らしい。
現地で撮影したであろうイタリア人街は映画用にアレンジされていたとしても、当時のNYの雰囲気を味わうのに十分。映画の中では戦前が舞台になっているが、そのころのイメージを感じるのも、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」と並んで最適なものになっているはず。
三作を一気に観ることでこの叙事詩の全体像を把握することができて、パートIIを見終わった時点でなんともいえない感情に襲われた。
最後のシーンはアル・パチーノ演じるマイケルが年を重ねたシーンで終わるのだが、そこで疑問が。
撮影当時、彼は何歳だったのだろう。
調べてみると、まず最初のゴッドファーザーの公開が1972年。パートIIは私の生まれた年の1974年だった(全米12月12日)。
画質はリマスターされているのもあるけれど、美しすぎてため息が出るほど。
これが1974年なのかと、まず驚いた。
そして、パチーノは1940年生まれ。パートII公開当時は33歳か34歳ということになる。
撮影はそれより前なので、32歳くらいだったのかもしれない。
また、パート1との間には2年しかない。
パート1のマイケル、特に彼がまだ大学生だったころのマイケルは若々しい。
そして、IIのマイケルは、もう目の下に皺がある。
これはなんだろう?
特殊メイク?
一作目のオフショット。目の下に皺がない。
これは1977年の舞台におけるパチーノ。
1973年公開『スケアクロウ』のアル・パチーノ。やっぱりない。
でも、これはあるような気がする。
ゴッドファーザーではマーロン・ブランドの老けメイクをリック・ベイカーが担当しているので、もしかしたら彼が少しメイクしたのかもしれない。
この写真が、特殊メイクをしているっぽい。どうだろう。
ということで、「プチメイクはしている」と私は判断した。
それにしても、第一作目当時、彼は無名だったというから驚きだ。
デニーロは同じく第一作でポーリー・ガットー役で決まっていたのに、アル・パチーノが脇役で出演予定だった別の映画に出され、結局パートIIでヴィトー役になった。
デニーロは1943年生まれ。
1973年に『ミーン・ストリート』で、『タクシードライバー』は1976年だった。
無名の二人の役者が揃ったのは、無名の脚本家プーゾが借金のために書き下ろした未完成の本を使い、無名監督のコッポラ(脚本家として成功していた)によって400万ドルという低予算で作られたゴッドファーザー。
多くの人がこの作品から復活、キャリアスタートを果たしているという面で、この映画は凄すぎる。
まず、落ち目だったマーロン・ブランドはこの映画で復活し、アカデミー主演男優賞を獲ったらしい。
そして、ジョージ・ルーカスも救われた。
実は、コッポラとルーカスが作った制作会社の第一作目がルーカスの『THX1138』(1971)だった。これが酷評され、大失敗。コッポラもルーカスも窮地に立たされるが、このゴッドファーザーでコッポラの会社は復活。
ルーカスは1973年に『アメリカン・グラフティ』で復活する。
そして、後にコッポラの代表作となる『地獄の黙示録』は、ルーカスが温めていた企画、アイディアだった。
これをコッポラに譲るのだが、その理由は『スター・ウォーズ』をコッポラの介入なしに作ることだったという。
つまり、ゴッドファーザーの成功がなければ、『スター・ウォーズ』も『地獄の黙示録』も生まれなかったのだ。
そんな話、1974年生まれの一般人である私には知るよしもなし。
そこらへんの話がこのドラマに全部入ってる。らしい。
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