ドーセットで見つかったバイキングの骨は、世界最強、伝説の部隊のものだった
イングランドにはかつてケルト人が住んでいたものの、今のデンマークやノルウェーから応援部隊としてやってきたアングロ人に武力支配される。
やがてアングロ人は土着化し、王朝も安定したものの、かつての仲間である北欧のバイキングの襲撃に苦しむ羽目になる。
2009年、イギリスのドーセットで、道路の工事中に偶然見つかったのは、そのころのバイキングの兵士の遺体。
54もの首亡き遺体が発掘された。
時代は968〜1016年、アセルレッド王の治世。
当時バイキングは、イングランドの人々にとって恐怖の殺戮部隊だった。
その恐怖の部隊が、首を切られて捨てられていたーー。
ドーセット、リッジウェイの丘で待ち構えていたアングロ人部隊は、恐怖に打ち勝ち、バイキング部隊を撃退したようだ。
なんらかの知恵があったのか、正面から堂々と戦ったのかはわからないものの、勝利したアングロ人はバイキングの首を斬首。そして、塹壕に死体を遺棄した。
記録によると、当時Thorkel the Tallが率いるバイキングキラーの集団がいて、Jomsvikingと呼ばれていた。
Jomsvikingの伝説は世界各地に残っていて、恐怖を顔に出さず、決して逃げないという彼らのルールも広く知れ渡っていたという。その彼らが命運つきて死んだのがこの丘かもしれないと、ブリット・ベイリー博士は推測している。
当時、イングランド国内のデーン人は虐殺という憂き目にあっている。
アセルレッド王は度重なるバイキングの襲撃に苦しめられていて、1002年11月に「セントブリスの大虐殺」を決行。
これは、国内に住むすべてのデーン人(デンマーク人)を殺すという命令のもとに行われた熱狂的な大虐殺で、そのときの遺体はロンドンやオックスフォード、グロスターなど各地で発見されている。
これらは熱狂した群衆によりデーン人に対する攻撃、虐殺が行われたが、ドーセットのバイキングは、一人一人念入りに処刑されている。
処刑方法は彼らの勇敢さを示すように、顔の正面から剣か斧で叩き割るというもの。
意識があるまま、正面から武器によって殺されたというのだ。
去年になって、それを証明する手がかりが発見された。
歯に入った縦のストライプ痕。
戦士たちの勇敢さは死後数百年たっても、消えることはなかった。