スターリン暗殺説をBBCが追究 時間軸を詳細に追う。
BBCワールドワイドが、スターリン暗殺説を追究している。
1953年3月に彼の死が発表されたとき、詳細情報はすぐに規制された。
脳内出血(brain hemorrhage)という原因だけが人々に知らされたのだった。
歴史家サイモン・モンテフィオーリは、この謎に迫るためにモスクワに渡った。
最初の疑問。それは、息子のワシリが、彼の父であるヨセフ・スターリンを殺したのではないかというもの。
少年時代に母親の自殺を経験しているワシリ。
彼の友人がこの映像で、彼について語っている。
ワシリは極端に、父を恐れていたという。(Youtubeではここまで。BBCではさらに放送が続く)
番組で息子の次に疑われるのは、フルシチョフ。
なぜかというと、スターリンの最後の晩餐に付き合っていた人物。
それがフルシチョフだったのだ。
しかし、晩餐といっても、仰々しいものではない。
大勢でどんちゃん騒ぎをしていただけだ。
毎晩のことだった。
フルシチョフの役目は、おかしなダンスをしてスターリンを喜ばせることだった。
決して賢い感じではない。
3月1日のどんちゃん騒ぎが終わり、フルシチョフが酔いつぶれて眠っている。
スターリンは彼の頭に食べ物を置くなどのいたずらをしたという。
酔いつぶれたフルシチョフは、実行犯ではない。息子も違うだろう。
では、暗殺説をとるとして、実行犯は誰なのか。
それは、通説通り、秘密長官ベリヤの取り巻きだ。
最後の日の時間軸
翌朝6時、新ボディガード長クリスタリエフは他のガードに「まだベッドで眠りたいようだ」と言って、彼の起床を待たなかった。
後に、ガードは「そんなことは今まで絶対に起きなかった」とこの時のことを語っている。
クリスタリエフはその後、一人スターリンの部屋に戻った。
外務大臣モロトフの孫によると、クリスタリエフはベリヤの指示を受けていたという。
彼はおそらく、寝ているスターリンに、注射を打った。
それから12時間後。
夕方の6時30分になっても彼は起きてこなかった。
部屋に再びガード(おそらくクリスタリエフ以外の人物)が入ったのは、それから3時間後だった。
10時、ボディガードが部屋に入ると、床に倒れたスターリンが苦しんでいた。
自身の小便があたりに溢れていた。
ガードはベリヤに電話をすると、ベリヤは「病気のことは誰にも言うな。あと、もう電話はかけてくるな」と忠告した。
早朝3時、ベリヤはスターリンのもとに到着。
発見が遅れたことでスターリンは右半身が麻痺し、昏睡状態となった。
なぜここまで発見が遅れたのかというと、スターリン自身のせいでもある。
彼は暗殺を恐れて寝室を複数造り、内鍵で外から開けられないようにしてたためだ。
ガードが持つ1本の鍵だけが開けることができたが、ガードは中央委員会に報告して指示をもらってから、やっとその鍵を使ったのだ。
昏睡状態になったスターリンに対して、秘密警察長官のベリヤが医師を呼ぶが、それは今までスターリンを診ていた医師ではなく、まったく新しい医師だった。
しかも、ユダヤ人だった。
早朝7時に医師団到着。
はじめての診察で、相当ナーバスだったという。
何もできない医師に、ベリヤは罵倒した。
そして、昏睡状態から意識を取り戻したスターリンに対し、ベリヤは手をとってキスをする。
すると、スターリンは再び昏睡状態になった。
映像ではその後、ベリヤは唾を吐き捨てる。
4日後の1953年3月5日、スターリン死去。
もしクリスタリエフが注射を打ったのなら、それが原因だが、そこからさらに12時間以上も放置することが、この暗殺計画を成功させる要因でもあった。
暗殺説は諸説あり、粛清されかけていたフルシチョフや外務大臣モロトフらのグループが、秘密警察長官のベリヤにやらせたというもの。
もう一つは、スターリンと同じグルジア出身でありながら、ユダヤ人とのハーフであるベリヤが、スターリンの反ユダヤ政策を止めるために実行したというもの。
医師団がユダヤ人だったことも、この二つ目の説を有力にしている。
Similar Posts:
- ジェニファー・ローレンスは好きですか。
- 「ヨーロッパで最もおとぎ話のような城」
- 駐車場をマトリックス化するとこうなる。
- 夢のような「美しすぎる家」がオークションに。
- ハル・ベリーの夫がまた乱闘騒ぎ。
- フィットネス動画を撮影中に列車に轢かれる。
- ポートランドの本格サンド『バンク・サンドウィッチズ』2号店がNEアルバータにオープン
- 北京、窒息スモッグの写真ギャラリー ABCNEWS
- 紫外線にいいことなし イギリスで皮膚スキャナを全国配置
- ポテチとヘロインは同じ中毒症状