育ったのは麻薬密売所の前。一人の女性が、「犯罪都市サウス・ブロンクス」を再生させる。

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サウス・ブロンクスという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
犯罪エリアの代名詞として広く有名だったNYのスラムです。最近はあまり聞かなくなりました。
今、ストリートビューで犯罪の中心地(モット・ヘブン)を見ても、街並がきれいになっていて、暗いイメージはありません。駅前をたむろしていたホームレスのほとんどは市の借りたアパートに住んでいます。しかし、環境は相変わらず。東側はイーストリバーですが、ゴミだめと工場に占有されています。
マップで見ても、近づいてみると汚いゴミがいっぱい…。産業廃棄物でしょうか。

しかしです。このウォーターフロントが変わろうとしています。数年後には、自転車用道路など出来て、川の眺めを存分に楽しめるようになるでしょう。
麻薬密売所を眺めながら育ったある女性のおかげで。

NY全体の治安はだいぶ良くなりました

10年ほど前まで、NYはまだ犯罪の香りがいたるところに漂ってました。
ブルックリン、クイーンズ、ハーレム。
マンハッタンは当時のジュリアーニ市長が警察の数を増やし始め、治安が良くなっていったころです。

ブルックリンは当時すでにマンハッタンのベッドタウンとして定着しつつあり、今も若い人がまず最初に住むエリアとして人気です。ブルックリン・プロスペクトパークは女優のジェニファー・コネリーのジョギングコース、と聞くだけで素敵な感じがします。

クイーンズというマンハッタンの東側のエリアは、キャロル・キングやポール・サイモンが青春をおくったところ。10年前は比較的犯罪の少ないエリアでしたが、必ずしも安全とは言えませんでした。そのころ、ちょうどクイーンズの中心にあるジャクソン・ハイツの周辺の家にお世話になっていたとき、「昨日、近くで日本人が撃たれた」という話がありぞっとした記憶があります。地下鉄に乗っているとひったくりに遭った女性が泣きながら車両に逃げ込んできたこともありました。

2年後にスパニッシュ・ハーレムの友人宅にお世話になったときは、日本の情報誌ではそこが治安の悪いところとして紹介されていました。
確かに、夜は少し怖い人たちに煙草をせがまれたりしました。
NYで暮らしていたエスクワイア誌のライターのYさんの案内でハーレム中をいろいろ歩きましたが、空き家が多いものの、治安は良好で、お洒落な店も点在していました。

そんなマンハッタン周辺で、唯一行かなかったのがサウス・ブロンクス。
「雰囲気がとにかく違うからやめたほうがいい」との友人の助言を素直に聞き入れ、足を踏み入れなかったところです。

悪夢のはじまりーー銀行がこのエリアを投資禁止にした

南北に長いマンハッタン島の、川をはさんで北側にひろがるブロンクス。
かつてはユダヤ人自治区のイメージがあり、特に南側のサウス・ブロンクスは、ウィキペディアによると92%がユダヤ教徒だったといいます。
その前はアイリッシュ移民、次にポーランド、ドイツ、イタリアと移民が流れ込んだようです。
ポーランドとドイツというのが、ユダヤ人かもしれません。
当時、アイリッシュとイタリアンのギャングも増え、彼らが禁酒法の時代に酒を密輸していました。
そのボスのひとり、ダッチ・シュルツは、ドイツ系ユダヤ人です。映画「コットンクラブ」のリチャード・ギアのボス。恋人(ダイアン・レイン)を取り合う相手です。映画が始まってすぐ、対立するギャングのボスにユダヤ人であることをののしられ、逆上して殺してしまうシーンがありました。

そのサウス・ブロンクスの環境が悪化したのは60年代から。
市の経済状況の影響もあって、民間資本の引き上げという現象が起こりました。
銀行がサウス・ブロンクス周辺を特定警戒地域として指定。新たな投資を止めたのです。

その影響はすさまじいものでした。
当時そこは、豊かになった白人層(おそらくユダヤ系)は少しずつ北の郊外に移り、ヒスパニックや黒人の人口が増えていました。
住宅は資産価値が落ちたため、家主は修復に手を抜きはじめたそうです。やがて、家を手放したくなった家主が、保険金を受け取るために次々と火災を引き起こしたと云われています。

火災後の住宅は放置され、街は極端にスラム化していきました。
その惨状にはカーター大統領も絶句したそうです。
汚れて建物が荒廃したエリアは、犯罪者が集まります。
麻薬の売人、売春…。

その様子を見て育った女性がいます。マジョラ・カーター。
麻薬密売所の前にある家で育ち、家が焼かれるのを見て育ちました。
最愛の兄は家の近くで、銃で撃たれました。

自分たちでやるしかない

悲劇を乗り越え、マジョラ・カーターはある日、運命の光景に出会います。
愛犬と散歩中、ゴミの集まる場所へ愛犬が彼女をひっぱり、連れていったそうです。
そのゴミだめを抜けると、イーストリバーの美しい風景が見えました。
今まで工場とゴミの山にふさがれて、その存在も知らなかった自然の風景でした。

地域には産業廃棄物がNY中から集まり、発電所があり、下水処理の化学工場があり、食品工場めがけて何台ものトラックが往復します。子供の4分の1が喘息です。
街は汚く、犯罪がはびこっていて、環境も悪いが、市は何もしてくれませんでした。

自分たちでやるしかない、と悟った彼女は、まずリバーサイドを公園にすべく、市の公園部と契約しました。
小さな公園の、資金も小さなものでしたが、計画をスタートさせると資金が次々と集まり、市が手がける公園としてはそのエリアで60年ぶりとなるハンツ・ポイント・リバーサイドパークという見事な公園が完成しました。

その後も緑化を中心とした環境再生プロジェクト、ウォーターフロント開発、ストリートの再デザインの計画が進行中。

もちろん、まだこのエリアが完全な環境を手にしたわけではなく、今後も改善、成長の余地はたっぷりとあります。
ソブロという新しい名称で呼ぶ人も増え、若手アーティストも移ってきました。
ヒップホップ発祥の地、ブギータウンとして観光名所になる可能性も秘めています。

照明のある綺麗な街は、犯罪者を寄せ付けなくなります。
NYは、荒廃と繁栄をエリアごとに繰り返してきました。
マンハッタンでは、使われなくなった食肉工場が並んでいた寂しいエリアが今、カフェやファッション、ホテルで盛り上がっています。
サウス・ブロンクス、ソブロが完全な再生を遂げる日も、そう遠くはないでしょう。

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