泥にまみれた昭和の世界にトリップする 『マイ・ラスト・ソング』
昭和へのタイムトリップ。
目を瞑ると、昭和を激しく生きた人々の息づかいが聞こえてくる。
ぎゅうぎゅうの船の中で誰かが歌い出した『朧月夜』。その歌声に泣き出した、男たちの涙に共鳴する。
子どもはディズニーランドで夢の国に行けるが、30代の私は今日、世田谷パブリックシアターで昭和の国へ行った。
久世光彦の著作『マイ・ラスト・ソング』をテーマにしたコンサートは、小泉今日子が『マイ・ラスト・ソング』のエピソードを読み、そこで紹介される歌を浜田真理子が歌う。
4年ほど前に同じ場所で始まったこのコンサートには撮影で参加し、全国各地を巡回している間に公式ウェブサイトも作った。
コンサート自体には第一回以来で、久々の観覧となる。
1回目から回数を重ねて進化したコンサートは、昭和トリップの要素を増幅させていた。
小泉今日子がシンプルに、ソファの上でエピソードを語る時点で、会場の人々は昭和の世界を体験する。
昭和に引きずりこんでくれるのは、平成人には思いも付かないような言葉と物語だ。
「泥水を飲んだことのあるような人に歌ってほしい」「恥に恥を重ね、その数が年齢をこえた」など。
それは、昭和を強く激しく生きた人々の勲章ともいえる言葉遣い。
現代人が到底たどり着くことのできない、ドラマチックに躍動する人生の言葉だ。
現代人の私が、ドラマチックな世界を知らないわけではない。
若い頃に、沖縄の久米島という場所で生活をしたことがある。
昭和40年ごろまで使われた風葬の洞窟があり、日本兵が「敗戦後」に住民を殺害した海岸にさとうきびが揺れる島。
緑色に輝く海は都会で病んだ心を瞬殺で癒やし、天の川は薄い雲のように白い。
人々は心は熱く、よく笑い、よく怒り、よく泣いた。
それは、心の底を見せないないちゃー(内地)の人々の生き方とはまるで違った。
私はそこで、何故か彼らと同じように感情が開放的になった。
だから、毎日は自然とドラマチックになる。
てぃだ(太陽)を浴びて、朝陽と夕陽をしっかり浴びて、よく遊び、酒を飲む。
喧嘩をしに男が部屋まで殴り込んできたことは1度ではなかった。泡盛の久米仙が人を乱暴にもした。
毎日のように起こる事件よりも楽しさが勝る毎日だったが、それでも、2年もすればその濃い人間関係に疲れ果てる。
おかげで今は、武蔵野の駅の近くのマンションに閉じこもり、なるべく人と交わらず、部屋で調べ物をしているのが楽しい。
ドラマを生み出すような濃い人間関係も構築しなければ、泥水も飲まず、恥も重ねない。泡盛の味も忘れた。
だからこそ、久世が書いた世界や歌に、憧れのような感情を抱く。
もう二度とそこには立つことができないからだ。
エピソードの詳細は、その著作やコンサートで出会うことができるから、詳しくは書かないが、なかにし礼作詞、三木たかし作曲『さくらの唄』のエピソードには、誰もが心を揺さぶられるだろう。
『時の過ぎゆくままに』や、森繁久弥の合唱エピソードも心が震える。
敗戦による朝鮮からの引き揚げ船で起こった『朧月夜』の話は、4年ぶりに聞いても泣けてきた。
私はもう、泥臭く生きた昭和にも久米島にも、絶対に戻らない。
戻れない。
敗戦を経験することもない。
だから、『マイ・ラスト・ソング』で私は目を瞑る。
昭和の伝説に耳を傾け、昭和の匂いを嗅ぐ。
香しいだけではない、泥と恥と涙の匂いを、この胸いっぱいに嗅ぐのだ。
沼畑直樹 テーブルマガジンズ代表
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