「世界で最も醜い女性」として見世物となった女性の遺体が故郷に帰る。
かつて「世界で最も醜い女Ugliest Woman in the World」として展覧会で展示物にされていた女性が、生まれ故郷のメキシコに帰ってきた。
彼女が生きていたのは今から150年以上前。ジュリア・パストラーナは、顔が毛で覆われていて、ヨーロッパやアメリカ、カナダで見世物にされていた。
彼女が死んだのは1860年、出産に伴う合併症だったが、死後も遺体は世界中で展示されたという。
遺体は最終的に、オスロ大学の法医学研究所に保存された。
パストラーナの遺体の場所を知ったメキシコ出身でNY在住のビジュアル・アーティストのラウラ・アンダーソン・バルバタは、彼女の遺体をメキシコに戻すように働きかけた。
そして、10年に及ぶキャンペーンによって、ついに遺体は火曜日、メキシコのシナロアに埋葬された。
パストラーナを見世物にした男レント
パストラーナは1834年にメキシコで生まれ、先天性多毛症で顔が厚い毛で覆われていた。
歯茎が厚くなる歯肉増殖症と、分厚くなる唇にも悩まされていた。
1854年、彼女はメキシコのある税関管理者に買収された。
男は彼女はアメリカとカナダで展示することを考えていて、彼女は展示物として「働く」こととなった。
その彼女が、ニューヨークで結婚をする。
相手は、セオドア・レントという男。彼は後に、彼女のマネージャーになった。
歴史家によると、パストラーナはレントに恋をしていたが、レントは単に彼女でもうけるために結婚したと考えている。
レントは彼女を連れてヨーロッパツアーを行ったが、人々は彼の妻に対し「クマ女」「オランウータンとの交配」などと呼んだ。
世間は彼女のことを「極端に不快」と表現したが、彼女は歌、ダンスが上手く、地元では慈善団体の寄付などで知られていたという。
しかし、彼女の短い人生の終わりは、すぐに訪れる。
1859年、彼女は妊娠した。
しかし、生まれてきた子は、多毛症だった。
子どもは出生から35時間後に死亡。パストラーナも5日後に合併症で死亡した。26歳だった。
レントはやはり儲けだけを考えていた男だった。
彼は妻の遺体と息子の遺体をガラスキャビネットに入れて、展示会を続けたのだ。
さらに、新たな展示を狙ったのか、メキシコで髭を生やした女性を見つけ、結婚。
「パストラーナの妹」と宣伝したらしい。
レントがロシアの精神病院で亡くなった後も、遺体の展示は続いた。
二つの大戦を経ても、人々の前に立ち続けた。
1976年、ノルウェーの倉庫にあった遺体を、何も知らない泥棒が盗むまでーー。
遺体は後に、ゴミ箱で発見された。
腕がもがれ、息子の遺体は無かった。
1996年、パストラーナの遺体は、ノルウェーにあるオスロ大学法医学研究所に安置された。
地下室のコレクションの一つとして、パストラーナは働くことを止めることはなかったのだった。
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