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「世界で最も醜い女性」として見世物となった女性の遺体が故郷に帰る。

ByRem York Maash Haas

2月 13, 2013
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http://www.dailymail.co.uk/news/article-2277608/Body-Ugliest-Woman-World-returned-birthplace-Mexico-burial-150-years-died.html#axzz2KdjWSVis
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2277608/Body-Ugliest-Woman-World-returned-birthplace-Mexico-burial-150-years-died.html#axzz2KdjWSVis

 

かつて「世界で最も醜い女Ugliest Woman in the World」として展覧会で展示物にされていた女性が、生まれ故郷のメキシコに帰ってきた。

 

彼女が生きていたのは今から150年以上前。ジュリア・パストラーナは、顔が毛で覆われていて、ヨーロッパやアメリカ、カナダで見世物にされていた。

 

彼女が死んだのは1860年、出産に伴う合併症だったが、死後も遺体は世界中で展示されたという。

 

遺体は最終的に、オスロ大学の法医学研究所に保存された。

 

パストラーナの遺体の場所を知ったメキシコ出身でNY在住のビジュアル・アーティストのラウラ・アンダーソン・バルバタは、彼女の遺体をメキシコに戻すように働きかけた。

そして、10年に及ぶキャンペーンによって、ついに遺体は火曜日、メキシコのシナロアに埋葬された。

 

パストラーナを見世物にした男レント

 

パストラーナは1834年にメキシコで生まれ、先天性多毛症で顔が厚い毛で覆われていた。

歯茎が厚くなる歯肉増殖症と、分厚くなる唇にも悩まされていた。

 

1854年、彼女はメキシコのある税関管理者に買収された。

男は彼女はアメリカとカナダで展示することを考えていて、彼女は展示物として「働く」こととなった。

 

その彼女が、ニューヨークで結婚をする。

相手は、セオドア・レントという男。彼は後に、彼女のマネージャーになった。

歴史家によると、パストラーナはレントに恋をしていたが、レントは単に彼女でもうけるために結婚したと考えている。

 

レントは彼女を連れてヨーロッパツアーを行ったが、人々は彼の妻に対し「クマ女」「オランウータンとの交配」などと呼んだ。

世間は彼女のことを「極端に不快」と表現したが、彼女は歌、ダンスが上手く、地元では慈善団体の寄付などで知られていたという。

しかし、彼女の短い人生の終わりは、すぐに訪れる。

 

1859年、彼女は妊娠した。

しかし、生まれてきた子は、多毛症だった。

子どもは出生から35時間後に死亡。パストラーナも5日後に合併症で死亡した。26歳だった。

 

 

レントはやはり儲けだけを考えていた男だった。

彼は妻の遺体と息子の遺体をガラスキャビネットに入れて、展示会を続けたのだ。

 

さらに、新たな展示を狙ったのか、メキシコで髭を生やした女性を見つけ、結婚。

「パストラーナの妹」と宣伝したらしい。

 

レントがロシアの精神病院で亡くなった後も、遺体の展示は続いた。

二つの大戦を経ても、人々の前に立ち続けた。

1976年、ノルウェーの倉庫にあった遺体を、何も知らない泥棒が盗むまでーー。

 

遺体は後に、ゴミ箱で発見された。

腕がもがれ、息子の遺体は無かった。

 

1996年、パストラーナの遺体は、ノルウェーにあるオスロ大学法医学研究所に安置された。

地下室のコレクションの一つとして、パストラーナは働くことを止めることはなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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