モナリザはヒトラーに盗まれたのか?
100年前、盗まれたモナリザはルーブルに戻ってきた。
盗まれたのは1911年で、戻ってきたのは1913年。
12月14日が、その生還記念日だった。
世紀の名画を強奪したのは、ルーブル内で働いていたイタリアの雑用係。
Vincenzo Peruggiaというアマチュアの画家だった。
彼は「ナポレオンから奪われたイタリアの絵画を祖国に返すのだ」という目標のもと(実際はナポレオンは関係ないが、ナポレオンは多くのイタリア芸術をフランスに運んだ)、ルーブルの庭師となり、ルーブルのユニフォームを盗んだ。
そしてクローゼットに隠れ、夜になるのを待ってモナリザをフレームから出し、布で包んだ。
しかし、ドアは外側からロックされ開かず、ドアノブを外したがそれでも開かなかった。
彼は朝まで部屋から出られなかったのだ。
最初にその部屋に来たのは配管工だった。
配管工はPeruggiaがルーブルのユニフォームを着ていたので、そのまま彼を外に出してしまった。
それから2年間、モナリザはルーブルから消えていた。
これは現実の盗難話だが、歴史にはミステリーがまだ残っている。
ヒトラーのモナリザ強奪疑惑だ。
その謎ときに挑戦したのが、全米で今冬に公開される『The Monuments Men』という映画。
マット・デイモンやジョージ・クルーニーが主演する大作としてアメリカでは話題になっている。
Monument Menというのは、第二次世界大戦で危険な目に遭っている美術品やモニュメントを守るために結成された300人の部隊。
活動をするうちに、彼らは綿密に計画されたヒトラーの美術品奪還計画を知る。
ヨーロッパの名画をすべてドイツに集め、少年時代を過ごしたオーストリアのリンツに、「スーパー美術館」を建築する…。
ヒトラーはそのための特別専門部隊を結成していた。
モナリザが危ない…。
現実の話として、ルーブルは今まで、モナリザを失っていたかどうかについては沈黙を守っている。
第二次世界大戦中の唯一の証言は、1939年8月27日に、ルーブルの絵画は包装、荷造りされていたということだ。
そして、他の国宝とともに南フランスの城などに送られたという。
パリから逃すことで美術品を守ろうとしたが、実際はナチスの南下は素早く、全土の制圧は圧倒的だった。
すべては奪われたのだ。
次の絵画に関する書類は1945年6月16日のものだ。
多くの絵画は無事、ルーブルに戻ってきたという。
占領下に絵がどういう扱いを受けたかという書類はルーブルに一切ない。
そのなかにモナリザがあったどうかという記載もなかった。
実は、ナチスにとってモナリザはトップターゲットだった。
ヒトラーはモナリザをリンツの美術館のトップマスターピースにしたかったに違いない。
Monument Menは戦後、オーストリアのアウタウスゼー岩塩抗(Altaussee salt mine)に集められていた1万2000品の美術品を回収した。
どれも極秘にナチスが奪い、集めたものだった。
当然、ルーブルが南部に送った美術品も含まれる。
レンブラントやラファエロなどのマスターピースが含まれていたことが確認されている。
モナリザに関しては確たる証拠はないが、ある二つの書類が残っている。
ひとつは、破壊されようとしていた美術品を守ろうとしたスパイの記録だ。
連合軍がアウタウスゼーに近づくと、岩塩抗管理者のEigruberはそれを爆破する計画をたてた。
美術品もろとも、この世から亡くしてしまうという無慈悲な計画…。
しかし、そんなときにヒーローは誕生する。
4人のオーストリア人(ダブルエージェント、スパイ)が、美術品を守るために立ち上がり、爆破を遅らせるためにあらゆる手を尽くした。
そして、記録にはその目的がこう書かれていた。
「モナリザのようなプレイスレスのオブジェクトを守るため」
もう一つは、1945年12月12日のある書類。
「パリから運ばれたモナリザは、ヨーロッパ中から集められた80のワゴンの中に入っている」
この書類は岩塩抗で見つかった。
この二つの書類が、岩塩抗にモナリザがあったとナチスが認識していたことをほぼ物語っている。
ということは、モナリザはやはりヒトラーに盗まれたのか。
しかし、フランス・ルーブルはさすがに、「『モナリザ』だけは守る」と覚悟を決めていたようだ。
ルーブルをルーブルたらしめるあの名画を、ヒトラーに奪われるわけにはいかない。
彼らは多くの美術品を南部に送ったが、たしかにそこにモナリザはあった。
しかし、それは16世紀のコピーだった。
ナチスは気づかなかったが、Monument Menはアウタウスゼーでモナリザを見て、それが単なるコピーだと気づいた。
「本物は別のところにある」
実は、本物のモナリザは占領中もずっと、パリのどこかに隠されていたのだ…。
パリには多くの地下通路があるが、そんな地下通路のどこかか、それとも一般家庭の屋根裏部屋か。
当時の関係者が機転を利かせ、マスターピースを守った。
しかし、フランス・ルーブルは「『モナリザ』だけは守る」と覚悟を決めていたようだ。
パリ、モナリザがあったどこかの場所。
もう二度と同じ目には遭わないとは思うが、念のため今もそれは秘密のままだ。
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