暗殺翌日、1980年12月9日の記事。
1980年、12月9日の記事。
レノン暗殺の翌日の記事だ。
http://www.nydailynews.com/new-york/john-lennon-killed-mark-chapman-month-1980-article-1.2035505
記事は、「昨夜、伝説的元ビートルズ・シンガーの彼が、ダコタハウスの前、リムジンの前で殺された」と始まる。
そして、容疑者の関する描写。
警察によると、容疑者はにやけていて、年齢は25歳。名前は、マーク・デビッド・チャップマン。
この記事で事件を知った人は、ここで忌まわしい名前をはじめて目にしたのか。
続けて、暗殺直前の行動。
「彼とhis Japanese-born wifeのオノ・ヨーコは、レコーディング・セッションから帰ったばかりだった」
彼が運び込まれたルーズベルト病院の医師のコメントは、「彼を救うためにあらゆることをした。彼の胸をあけて心臓マッサージをしたが駄目だった」。
警察によると、ダコタハウスのゲートの前で、近距離から複数回撃たれたという。
病院に運ばれたのは11時。
胸の傷口から大量出血していた。
事件を目撃したSean Strubという人物の証言では、チャップマンは撃ったあと、銃を落としたという。
警察によると、コートヤードで.38-caliberのリボルバーが見つかった。
“Chapman almost had a smirk on his face,”
「いつもにやけていた」と証言したのは彼だった。
また、別の女性の目撃者によると、チャップマンは撃ったあと逃げ、茶色のジャケットを脱ぎ捨てたらしい。
彼女が聞いた叫び声。
‘Help, help. Help him’
彼女は、そのヨーコの叫び声を今も覚えているだろうか。
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