VW不正報道の誤解について
VWディーゼル不正報道は各地で誤解が多く、混乱している。
特にピエヒ家とポルシェ家の関係が上手に読み解かれていない。
たとえば、
VWはピエヒ・ポルシェ両家が50パーセント近い株で支配している一族会社
→一族会社として独裁となり、1000万台の目標を掲げた
→ポルシェなどを買収して目標を達成した
というもの。
しかし、VWは関東地方のような大きさを持つ州が大株主だった会社で、それが2005年まで続いている。
一族支配が昔から続いていたということはない。
2005年に何が変わったのかというと、会社のポルシェによるVWへの敵対的買収(VWに敵対的であることは秘密)を行い、VW株式の20パーセントを取得したことだ。
今回の不祥事で引責辞任した社長マルティン・ヴィンターコルンは、2007年に就任。
2018年までに世界販売台数を1000万台にする「ストラテジー2018」を発表した(当時570万台)。
2009年、VWの株を50パーセント近くにしていたポルシェだが、金融危機で自爆。VWに救済を求め、VWがポルシェ社を買収する。
1000万台の目標のためというよりは、ポルシェが勝手に転がり込んできたという感じだ。
また、両家が支配するという構図は、このポルシェの敗北からだ。
ポルシェ社の持ち株会社が敵対的買収のために取得した50パーセント超のVW株式が、いわゆるピエヒ・ポルシェ両家の株ということになる。
意味がわからないかもしれないが、とにかくここからがVWを一族が支配するスタートとなる。
つまり、ストラテジー2018のあとの話だ。
なぜポルシェが50パーセントのVW株式を取得し、VW元社長のピエヒに喧嘩を売ったのに、結果的に両家がVWを支配することになったのか。
簡単に説明するのは非常に難しいが、やってみると
ポルシェの持ち株会社はピエヒ・ポルシェ両家のもの。
というのがキーワードになる。
つまり、ピエヒはポルシェの持ち株会社を100パーセント支配するピエヒ・ポルシェ両家の親族の一人だった。
なので、ピエヒはVW側代表として、両家持ち株会社の一員として、二つのサイドの立場を持つものとしてポルシェによるVW株式20パーセント取得の計画を聞いた。
もしポルシェによるVW買収が成功していたら、両家持ち株会社を頂点にポルシェ家とポルシェ社社長によるVW支配が行われ、ピエヒは失脚する予定だった。
ただし、失脚しても両家持ち株会社の一員としての影響力は多少ある。
それでも、ポルシェ家からしてみれば、イーブンの関係からの脱却だった。
なぜなら、両家持ち株会社は、両家が仲が悪いために機能せず、ただの株を持っている組織だったため、機動力や影響力は、VW、ポルシェ両社の経営を支配できるかどうかによった。
ピエヒは本来ならポルシェ社に影響力があるはずだったが、上記の理由でまったくなかった。
まとめる。
以上の理由で、今もVWの筆頭株主はピエヒ・ポルシェ両家だが、株主は一人ではないので、実質影響力はない。
経営に興味がなければ口出すことはないし、あるなら監査役として口を出す。
ピエヒは現在、監査役会も辞任したので、VW支配の頂点に立つピエヒ・ポルシェ両家株主会社の一人というだけだ。
最初に出した誤解の例
VWはピエヒ・ポルシェ両家が50パーセント近い株で支配している一族会社
→一族会社として独裁となり、1000万台の目標を掲げた
→ポルシェなどを買収して目標を達成した
これは、
VWはピエヒ・ポルシェ両家持ち株会社が2009年から筆頭株主会社となった会社
→ピエヒ個人の独裁となり、1000万台の目標を掲げた
→ポルシェは目標を掲げた直後に転がり込んできた
となる
最後に、VWとピエヒの人生を振り返る。
ピエヒの祖父がVWのもととなるクルマを開発
ピエヒがポルシェ社で高性能エンジンを開発
ピエヒがポルシェ退社後にアウディ(VW子会社)のクワトロシステムを開発
ピエヒがVW社長に就任 VWを成長させる
自分も含めた親族が株主のポルシェ社がVWに敵対的買収をピエヒに秘密で行う
VW1000万台の目標を掲げる
ポルシェ債務危機により、VWに買収を求める
ピエヒ支配下のVWがディーゼルエンジンの不正を行う
1000万台達成
ピエヒ、不正発覚直前で辞任
VW不正発覚
ポルシェ車にも不正発覚
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