アルゼンチンが再び「フォークランドを返せ」
アルゼンチンではフォークランド諸島のことをマルビナス諸島と呼ぶ。
2012年4月にはフォークランド紛争30年目を迎えた。
そして昨日3日、アルゼンチン大統領クリスティーナ·フェルナンデス·デ·キルチネルは、英首相に対して、「180年前にイギリスはアルゼンチンからフォークランドを奪った」と公開レターを送った。
手紙では「フォークランド問題は英国の植民地主義」 と公然と批難。
歴史ではこの問題について1982年のフォークランド紛争のことばかり触れられるが、たいていはイギリス側の「正義」が語られることが多い。
しかし、アルゼンチン側から見れば、そんな認識はとうてい許されるものではない。
サッチャーの自伝映画での紛争の描き方にしても、苦々しく思っていただろう。
あのとき、サッチャーが強引に戦争に持ち込まなかったら…。
実はイギリスはフォークランド以外にも多くの諸島を所有している。
北大西洋のケイマン諸島やヴァージン諸島、バミューダ諸島、アフリカのセントヘレナ、太平洋のピトケアン諸島などがあり、14の海外領土を持つといわれている。
フォークランド諸島については、1833年から実効支配に入った。
「誰が島を発見したか」については、領有権主張の根拠となるため諸説ある。
イギリスはイギリス人が発見したというし、アルゼンチン側からすれば地元民がすでに発見していたという。
最初の争いは1746年。フランスとイギリスが領有権を主張し争い、最終的にイギリスが勝利した。1767年には当時アルゼンチンを支配していたスペインが上陸し、イギリス軍を降伏させる。
その後アルゼンチンは独立し、フォークランドの領有を宣言したが、1833年に英軍艦によって無血占領された。それ以来、イギリスの実効支配となっている。
アルゼンチン側からすれば、「力によって奪われた」としか解釈できない歴史となっている。
今問題になっているのは石油問題で、諸島北部に石油資源があることが判明したため、アルゼンチン側はその資源をイギリスに奪われるのだけは許せないという心情だ。
アルゼンチンは国連で交渉しようとしているが、イギリス側は「島民には未来を自由に選択する権利がある」として交渉のアイディアを拒否した。
島民はイギリス系白人がほとんどで、議会議員も、「ここは植民地ではない。イギリスとの関係を選択する」とコメントした。
住んでいる人の権利によって領有権を決めるというのは一理あるが、それならば竹島も北方領土も、もう日本領土ではない。
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