アウシュビッツ、もう一つの物語が明らかに。
1950年代にマドリッドのバレンシアガのモデルとなり、その後はワシントンでユダヤ人の上司のもとで働いていたファッショニスタ、ブリジット・ヘス。
彼女が、40年間守り通した秘密を告白した。
それは、あまりにも衝撃的で、彼女の凄まじい苦悩を伝えるものだった。
現在80歳の彼女は仕事を引退し、ヴァージニアの田舎で癌の闘病生活を送っている。
父親についての記憶は、「世界で最も素晴らしい人間」。
そこに偽りはない。
しかし、彼女が7歳から11歳まで住んでいた場所に問題がある。
その家は、アウシュビッツに隣接する別荘だった。
このあたりの歴史に詳しい人なら、もう気がついたかもしれない。
彼女の名字は、ヘス。
そして、歴史に名を刻んだ悪名高きアウシュビッツのコマンダントの名も、ルドルフ・ヘス…。
彼女は後年、ワシントンでストアマネージャーとして働いていたが、そこは議員の妻らがお客として訪れるセレブな店だった。
ある日、ヘスは酔って、家族の秘密をストアのボスに告白。
ボスはユダヤ人であるにも関わらず、ヘスを許した。
ボスは「水晶の夜」で逃げた家族だった
彼女はバージニア州北部に住んでいて、ワシントン・ポストの取材を受け、この秘密を告白した。結婚後の姓を公表しないことを条件に。
「外にはまだ、クレイジーな人々がいる。もしばれれば家を焼かれ、撃たれるかもしれない」と、ドイツ訛りでインタビュアーに語ったという。
彼女はどのようにしてアメリカに渡ったのか、その秘密も明らかになった。
父親のルドルフは1947年に絞首刑になったが、その後ブリジットは、アイリッシュのアメリカ人とヨーロッパで結婚したらしい。
そして、1972年に、夫婦はアメリカに渡った。
夫は貿易業で忙しく、ブリジットは仕事を探したが、英語が不得意なため、なかなか見つからなかったところを、アルバイトとして雇ってくれたのが、現在のボスだった。
ワシントンでの仕事を続ける中、ある夜にブリジットは秘密を告白。
ボスの両親は、1938年のクリスタル・ナイトで命からがらドイツからアメリカに亡命していたにも関わらず、彼女を許した。
イング・ブリジット・ヘス(Inge-Brigitt Höss)は、1933年8月18日に生まれた。
記事によると、アウシュビッツの家の家具や装飾品は、ユダヤ人収容者から奪ったものだったという。
1945年4月、戦争終結に向けて家族は北へ逃げたが、1946年3月、ナチスハンターのハンスアレクサンダーによって父親は捕まり、絞首刑となった。
翌年から家族は極貧生活を送ったが、1950年代、新進気鋭のバレンシアガでモデルとして3年間働くことが決まり、スペインに旅立った。
彼女はそこで、すべての過去と決別する。
1961年、マドリードで働いていたアイリッシュのアメリカ人と結婚。
夫に対しては、自身の最大の秘密である、自分の出自について告白。理解を得た。
夫婦はその後、家族の背景について語らないと誓った。
アメリカでの生活は順調だったが、1983年に離婚。
娘は死に、今は息子と暮らしているという。
彼女は父親の仕事について理解はしているが、彼女にとっては「素晴らしい人間だった」。
2013年という現代に、明らかになったアウシュビッツの秘密。
歴史に関係する子供の一人が、アメリカの政治中枢部で生きていたとは。
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