死後明らかになった、あるナチ・ハンターの物語。
映画『イングロリアス・バスターズ』的物語を彷彿とさせる実話が紹介されている。
ドイツでユダヤ人が迫害された水晶の夜直前にイギリスに逃げたハンス・アレキサンダー。
彼は英軍に参加し、ナチ・ハンターとなった。
彼はアウシュビッツの司令官であったルドルフ・ヘスのハントに関わったが、生存中は一切そのことについて語ることはなく、彼の死後、すべてが明らかになった。
彼の葬式で曽甥が読み上げたのは、誰も知らなかった老人ハンスの物語だった。
ハンスが逃げたのは1936年。その三年後の1939年、イギリスはドイツに宣戦布告した。
ハンスは英軍に参加し、ユダヤ人に迫害を加えるナチスへの復讐を誓った。
1945年、ノルマンディー上陸作戦に参加し、ベルゲン・ベルゼン強制収容所の解放を見た彼は、ナチス戦犯を捕らえるためのチームに参加。
尋問でホロコーストにおけるルドルフ・ヘスの役割を知った。
アウシュビッツ崩壊後、ヘスはどこへ逃げたのか。
彼は家族を連れ、デンマークに向かおうとしていた。
そして、フレンスブルグの古い砂糖工場に、妻ヘルヴィグと子供たちは隠れていた。
英諜報機関はその情報を知り、ハンスは3月7日に現地に到着。
ヘスの隠れ家を突き止めるため、ヘルヴィグに尋問を始めた。
しかし、ヘルヴィグは厳しい尋問にもびくともしなかった。
が、ハンスもしつこかった。
長男クラウスを連れてきて、シベリアに追放すると脅した。
ヘルヴィグが悩んだ時間は10分。
彼女はついに、夫の偽名であるフランツ・ラングと書かれたメモを提出した。
そこには、農場の住所が書かれていた。
ヘスは11日に逮捕。
ハンスともう一人の男性が彼を農家から引きずり出し、自白するまで殴ったという。
その拳に、どんな想いが込められていたのか。
ヘスは47年4月2日に死刑宣告され、4月16日にアウシュビッツに隣接する火葬場で絞首刑となった。
ハンスはドイツに戻らず、2006年にロンドンで亡くなった。
89歳だった。
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