アウシュビッツのカメラマンが、再びシャッターを切れなくなった理由
先週23日、94歳で亡くなったフォトグラファーのヴィルヘルム・ブラッセ。
彼はナチスのために、アウシュビッツで5万枚の写真を撮影していた。
中には、医学実験の犠牲者となる人々の写真も含まれているが、これらの写真は後にナチスの戦争犯罪を追求する決め手となった。
戦後、彼は再びカメラマンとして生きていくことを決めた。
しかし、再びカメラをにぎり、少女のポートレイトを撮ろうとしたとき、彼は怯えていた。
少女の後ろに、ゴーストのような人々の影を見たのだった。
複数の人々が立ち、怯え、大きな目で彼を見つめていた。
彼は写真をやめた。
彼は戦前、ポーランドのカトヴィツェで、叔母のスタジオで肖像写真の修行をしていた。
平和な日々は、ナチス侵攻によって一変する。
彼はドイツ人の父とポーランドの母の間に生まれたが、ナチス侵攻時、「自分はポーランド人」とはっきり自覚していたため、帝国に忠誠を誓うことを拒否。ゲシュタポの尋問を受けたあと、ハンガリーに逃亡しようとして国境で逮捕された。
彼は4ヶ月間投獄され、その後ドイツ軍の参加をうながされたが、再び拒否。
1940年8月31日にアウシュビッツに送られた。
ちょうどそのとき、SSは収容所内でカメラマンを探していた。彼らはブラッセ氏のスキルをテストし、ドイツ語を話せる彼を採用した。
仕事を得た彼の扱いは、他の囚人にくらべ天国のようだった。暖かさも食事も保証されていた。そして、毎日のように写真を撮り始めた。
ある日、悪名高いナチスのヨーゼフ・メンゲレ博士が、ある男性のタトゥーを撮ってほしいと依頼してきた。 後に、そのタトゥーの皮部分が博士のテーブルの上に貼り付けられていたという。
メンゲレはブラッセ氏の写真が気に入った。 そのため、メンゲレの人体実験のカメラマンに彼を指定した。
最初に撮ったのは、ユダヤ人少女のグループだった。 15歳から17歳の彼女たちは裸にさせられた。
まわりの男性たちに囲まれて、少女たちは怯えきっていたので、彼は彼女たちを落ち着かせようと最善を尽くしたという。
それが、彼の人体実験写真撮影のはじまりだった。
5万人分のネガは終戦時に敷地内に埋められたが、戦後、そこから回収された。
カメラマンをやめた彼は、ソーセージの皮を製造するビジネスをはじめ、成功した。
Similar Posts:
- サンダカン死の行進を思わせるゴーストが…?
- 死後明らかになった、あるナチ・ハンターの物語。
- アウシュビッツ、もう一つの物語が明らかに。
- これはいったい…。
- 世界最果ての地で撮影したパーフェクト・ショットとは。
- 第一次世界大戦の前線写真が一世紀ぶりに見つかる
- 黒死病を上回る致死量の新疫病で9歳の少女が死亡 東アフリカにアウトブレイクの恐怖ひろまる
- ナチスのポーランド奴隷化計画に抗ったポーランドの教師が死亡
- 悪夢を見る「幽霊ミラー」を買いますか?
- 何が一卵性の二人を分けるのか。
RT @maashjapan: アウシュビッツのカメラマンが、再びシャッターを切れなくなった理由 http://t.co/l8DT9M5t
RT @maashjapan: アウシュビッツのカメラマンが、再びシャッターを切れなくなった理由 http://t.co/l8DT9M5t