「チフス・メアリー」の息づかいが聞こえる廃墟の島。
ニューヨーク、イーストリバーにあるノース・ブラザー島。
メインストリートは草で覆われ、廃墟となった礼拝堂や遺体安置所、発電所などがある。
ここは、「チフスメアリーの伝説」の島だ。
1907年、見た目が元気なコックのメアリー・マロンは、ニューヨークで最初の腸チフス・キャリアと認定された。
彼女が働いていたのは、銀行家のウォーレン家。
1906年の夏、休暇のときにメアリーをコックとして雇った。
その後すぐにウォーレン家の娘が腸チフスになった。
腸チフスは洗ってない手から料理を通じて感染するか、便から感染する。
そのため、まずメアリーが疑われた。
しかし、その後女中や庭師、ウォーレンの別の娘が次々と感染。
家にいた11人中、 6人が感染した。
メアリーは感染してなかったが、理由がわからなかったので、逃げた。
そして捕まった。
彼女はノース・ブラザー島に隔離され、裁判にかけられた。
何も法律を破っていなかった彼女に対し、裁判所は、無期限に島に監禁するよう命じた。
彼女は天然痘患者やヘロイン患者を隔離するリバーサイド病院に隔離された。
記録では彼女の生涯で、コックとして51人を感染させ、3人が死亡したとされている。
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隔離されて数年がたち、1910年に彼女は解放された。
コックの仕事はしないというのが条件だった。
しかし、実際は彼女に仕事はなく、やがて料理人に戻っていった。
そして、1915年、マンハッタンのある病院で腸チフスが発生する。
25人が感染し、2名が死亡。
疑われたのは、最近雇われたコック、ミセス・ブラウン。
彼女こそ、メアリー・ブラウンだった。
そのころ世間では、彼女が健康な腸チフスキャリアであることが知られていたので、同情の声もあったという。
彼女は腸チフスのウイルスを持っていても体に異変はなく、常に健康体だった。
しかし、彼女が料理を作れば、人々は感染する。
彼女は改めて北ブラザー島へ送られた。その後23年間、島から出ることはなく、寂しく、結婚もしないままで生涯を閉じた。
島はその後、さまざまな形で再利用されたが、1963年に完全に放棄された。
マンハッタンの北方、かつて荒れに荒れていたブロンクスのイーストリバーに寂しく浮かぶのがノース・ブラザー・アイランドだ。
ブロンクスは少しずつ地元住民による再開発が進んでいるため、もしかするとこの島も再開発される日がくるかもしれない。
島には彼女が晩年をおくった建物が残っていて、チフス・メアリーの伝説を知る人々にとっては、心揺さぶられるスポットとなっている。
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