ヒトラーの息子は実在した。
ジャン・マリー・ロレット。彼は、1985年に67歳で亡くなるまで、自分がヒトラーの唯一の息子だと信じていた。
それが本当なのか。世間は完全に信じることも疑うこともなかったが、最近になって、彼の証拠、証言には信憑性があるのではないかと話題になっている。
実は、彼が生前、研究者を通して行った血液検査と筆跡テストで、どちらもヒトラーと一致するという結果が出ているのだ。
しかも、テストは2つの別の機関で行われている(一つは1981年のハイテルベルグ大学の調査)。
彼によると、母親のLobojoie Charlotte(フランス人)は、16歳のとき(1914年)に第一次世界大戦でドイツ軍伍長だったヒトラーに出会ったという。母親はヒトラーを「思いやりがあって優しい人」と表現していた。
二人は言語の障害はあったものの、田舎道を仲良く散歩した。
そして、1917年6月に結ばれ、彼は1918年の3月に生まれた。
ロレットはフランス語話者のフランス人で、大柄。「自分の父親はヒトラーらしい。どうすればいいのだろう」と悩んでいたという。第二次世界大戦ではフランス軍兵士としてナチスドイツと戦った。
母親が息子に、父親の秘密を告白したのは1950年ごろだったという。
ヒトラーが第一次大戦で戦っていたのは、Seboncourtという場所で、休暇でFournesという町を定期的に訪れていた。
ロレットの母親が干し草を切っていたとき、絵を描いていたヒトラーに出会ったらしい。
別れは最悪で、ヒトラーはドイツ語でわめきちらしたという。
ロレットの父親はドイツ人ということは知れ渡っていたので、学校ではいじめにも遭った。
ヒトラーは息子の存在を知っていたが、正式な息子としては認めなかった。ただし、母親とは連絡をとっていたらしい。
それを示すものとして、ドイツ国防軍が、第二次世界大戦の間に、母親宛に現金の封筒を持ってきたことを示す書類が発見されているという。
また、彼女が死んだときに、驚くべきことに屋根裏部屋からヒトラーの署名入りの絵が発見された。
その絵にはロレットの母親の若き日の姿が描かれていた。
それらの顛末を書いた本「Your Father’s Name Was Hitler」がまもなく出版予定。
ヒトラーの最後の秘密がどれほどまで暴かれるのか、注目を集めている。
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