ヒトラーがどうしても助けたかった唯一のユダヤ人とは?
ナチス政権が行ったニュルンベルグ人種法(1935年)は、ヒトラーにとっても無理があったものだったらしい。
彼が敬愛する指揮官が、「純血なユダヤ人(full blooded Jew)」に分類されてしまったからだ。
ヒトラーの元上司であるエルンスト・ヘスは、母親がユダヤ人だった。
宗教上は多くのドイツ人と同じプロテスタントだった。
ヒトラーはゲシュタポに向けて、ヘスに手を出さないように命令する手紙を1940年8月に出していて、その手紙が今月公開された。
デュッセルドルフで保管されていた手紙には、「総統の意思によって救済と保護」するように要請されていた。
なぜヒトラーは彼を助けようとしたのか。
実は、ヒトラーの政治活動と信念はすべて、西部戦線が絡んでくる。
第一次世界大戦に兵士として参加したヒトラーは、長く膠着した西部戦線で、ヘスの部隊に属していた。
ヘスとヒトラーの所属する部隊は戦争時、フランダースの戦線に配備され、1914年10月と1916年にヘスは名誉の負傷をした。
戦いは厳しく悲惨なものだったが、ドイツが負けているわけではなかった。
国の誇りを持って戦っていたドイツ軍が、突如引き上げる羽目になったのは、ベルリンで起こった政変が原因だった。
共産主義寄りのユダヤ系ドイツ人らによって、戦争は終わりにさせられたのだ。
しかし、和睦ならまだしも、なぜか賠償金を負う羽目にもなった。
そして、ワイマールに設置された新政府は、ユダヤ系で占められた。
軍人にしてみれば、「ドイツに何が起こったのか」という状態だった。
当然、反ワイマールの気運は軍人らから起こり、その中にヒトラーもいた。
「ドイツはドイツ人が動かすべきだ」
そう感じたヒトラーは、政治運動を激化させる。
彼の政治家としての姿は、軍人としてのヒトラーから始まっているのだ。
しかし、当時のドイツ軍部には、ユダヤ人が多くいた。
そして、活躍していた。
ドイツのユダヤ人はドイツ在住の歴史が長く、そのころは「完全なドイツ人」という自覚があり、愛国心も強かった。
その点では、ヒトラーとまったく同じなのだ。
ましてや、同じドイツ民族とはいえ、オーストリアという違う国からやってきた男に文句を言われる筋合いなどなかった。
ヒトラーがその点を理解していないのかといえば、そうでもなかった。
アンネ・フランクの父親オットーがそうであったように、元軍人であることを報告していれば、より良い収容所に入ることが許された。
オットーは隠れ家にいたため、もちろん申告はしていなかった。
※右端の人物がヘス。
ヘスの家族によると、1936年ごろ、ヘスは家の外でSSらに殴られていたという。
自分の部下の政権によって、迫害されていたのだった。
彼は自らヒトラーに手紙を書き、ニュルンベルグ人種法から自分の家族を除外することを嘆願した。
そしてヒトラーは、ヘスを守るよう手紙を書いたのだった。
ヘスは最終的に、バラックを作る労働者として困難な時代を生き抜いた。
妹のベルタは手違いがあったのか、アウシュビッツで死んだという。
ヘスは戦後の西ドイツで成功し、フランクフルトで1983年に死去した。
第一次世界大戦時のヒトラー。
ヘスの娘はかつて、ヘスに「ヒトラーのことを覚えているか」と訊いたことがあるという。
しかし、ヘスはヒトラーのことをよく覚えていなかった。
1920年にかつての部隊で同窓会を開いたが、同じ連隊の仲間も、あまりヒトラーのことを覚えてなかった。
当時の彼は口数が少なく、おとなしい青年だったのだ。
部隊に友人は、一人もいなかったらしい…。
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