「ヒトラーのメイド」が71年間の沈黙を破り告白。
Elisabeth Kalhammerという89歳の女性。
彼女はミュンヘンで長い間静かに暮らしてきたが、最近、ある告白をした。
戦時、彼女は「ヒトラーのメイド」だったのだ。
それは、71年前の1943年に遡る。
地元の新聞にのった「メイド募集」の広告を見たエリザベートは、ベルヒテスガーデン近くのある別荘でのその仕事を申し込んだ。
母親は10代の彼女が働くのを反対したが、雇い主は「素晴らしい体験になる」とエリザベートを説得した。
最初の日、建物につくまでにSS(親衛隊)を見かけた。
別荘の中にはゲストが大勢いて、不意に彼があらわれた。
それは総統だった。
ここは、ヒトラーの別荘であり、最高軍事拠点でもあった「ベルクホーク」だったのだ。
最初に彼女は、ここでのことを他に明かしてはならないと警告を受けた。
そこにはメイドが20人以上いて、彼女はその中の一人となった。
メイドは総統ヒトラーと話は出来ないが、プライベートルームに入ることは許される。
彼女の仕事は主にランドリールームと裁縫室でのものだったが、ヒトラーの好きなティーを彼に届けるという仕事もあった。
彼はニンフェンベルグ陶器のカップがお気に入りだったが、ある日事件が起きる。
新入りの彼女が、その大事なカップを割ってしまったのだ。
当然罰があるのだが、それは休日を減らされるという程度のものだった。
雇い主がヒトラーでも、この仕事は魅力的だった。
当時、エリザベートの家族は豊かな食生活ではなかったが、メイドたちはフレッシュなリンゴジュースを飲めたし、食べ物もいっぱい与えられたのだ。
戦時としての待遇は抜群だった。
この仕事で、ヒトラーの意外な一面を知ることにもなった。
ヒトラーは脾臓に問題があったため、食事療法(菜食主義)をしていて、水もぬるま湯しか飲まなかったらしい。
しかし、メイドたちは、彼が子供のような甘党であることを知っていた。
疲れ切ったヒトラーは、夜中、メイドが寝静まったころにケーキを食べていた。
それは、「総統ケーキ」と呼ばれ、ナッツ、レーズン、リンゴのケーキだった。
こっそりとチョコやビスケットを食べることもあったらしい。
エリザベートにとって、ヒトラーの愛人である、エヴァ・ブラウンへの印象はいい。
結婚はしてなくても、家の主人の妻として振る舞っていた彼女は、メイドに優しかった。
メイドの制服は彼女がデザインしたという。
エヴァもヒトラーも、この山荘で楽しい時を過ごしていた。
ヒトラーは映画好きで、プライベートの映画館を持っていた。
しかし、そんな趣味を楽しむ雰囲気も、1944年7月に終わりを告げる。
陸軍将校による暗殺未遂事件だ。
同時に、連合軍の足音が近づいてきていた。
緊迫した状況の中で、エリザベートは働き続けた。
終戦直前、連合軍の空爆で避難するまで、彼女は山荘にいたという。
ちなみに、この山荘があった地帯は、ドイツ側から伊豆半島のようにオーストリア側に突きだしている。
北東にはミュンヘンがあるが、オーストリアのザルツブルグ(サールズバーグ)のほうがずっと近い。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の一家は、ヒトラーの前で歌ってほしいと依頼されたらしいが、それはこの近さゆえのことだったのだ。
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