ヒルズボロの悲劇から23年 真実が明るみに
イギリスで史上最大のスポーツ悲劇は何か。
それは、1989年に起きた「ヒルズボロの悲劇」に違いない。
サッカーFAカップの準決勝で、ゴール裏の立ち見席に押し寄せた群衆により、重軽傷者766人を出す惨事となった。
驚くべきは、その死者数。96人ものサッカーファンが死亡したのだ。
当時、サッカー場のゴール裏は立ち見席になっていて、そこで熱狂的な応援がされるのが常だった。
1989年4月15日、イングランドのシェフィールドにあるヒルズボロ・スタジアムでは、リヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦が始まろうとしていた。
しかし、試合開始時間が迫っても、立ち見席に入るはずのリヴァプールファンがゲートの外に大勢いて、群衆整理の騎馬警官らと揉めていた。
その後、いくつかのゲートを解放したことによって、おそらくチケットをもっていないサポーターらが押し寄せ、リヴァプールサイドのゴール裏はすし詰め状態になった。
その時点で多くの子どもが危険な状態にあったかもしれない。
ただでさえ圧迫したその状態を、一気に崩壊させたのは、クロスバーに直撃したリヴァプール選手のシュートだった。
そのシュートによってうねりが発生し、鉄柵が崩壊。将棋倒しが発生してしまった。
そして、今、イギリスを揺らしているのが、23年前に起こったこのヒルズボロの悲劇だ。
最近明らかになった報告書(ヒルズボロ独立調査委員会)によると、死者のうちおよそ半分が、適切な措置さえしていれば助かった可能性があるということがわかったからだ。
また、警察は不手際を隠蔽するように試み、すべては犠牲者らファンの過失であるようにみせようとしていた。
この件について、キャメロン首相は遺族に謝罪した。
事故当時、亡くなった98名のうち、すべてが死亡していたわけではなく、41名は心臓や肺が動いている状態だった。
混乱した現場で彼らは放置され、その後死亡したことが検死結果によって判明していた。
なにより、それを警察が公表しなかったことが、遺族の怒りをかっている。
また、当時警察は多くの救急車の手配を要請したが、手配がうまくいかなかった。
しかし、現場の救急隊らは、そのような群衆パニック時の応急処置について訓練されていなかったため、もしすぐに現場に到着しても、適切に動けたかどうかはわからない。
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