ジェーンを餓死させたインディアンの兵糧攻め作戦。
共食いの頭蓋骨が残された「ジェーンの頭蓋骨」で新たな報道があった。
インディアンの関与だ。
14歳の「ジェームズタウンのジェーン」は、アメリカの最初の英入植地ジェームズタウンでの記録的飢餓によって亡くなった。
船は次々と到着したが、彼らを養う食料はすでに無かった。
そして、入植地の近くにいたインディアンのPowhatanとの関係が敵対的になり、彼らは食料の供給を拒否。
コロニーを包囲し、境界をこえようとする入植者を矢とこん棒で殺害した。
インディアンの救済拒否と、包囲殺害に加え、寒さが入植地を襲う。
特に1609年は厳しい冬が到来した。
そして、赤痢が蔓延する。
ジェーンはアメリカに到着後(1609年8月)、数ヶ月で死亡したという。
しかし、入植者は埋葬された彼女の遺体をすぐに掘り起こした。
食べるためだ。
頭蓋骨を斧のようなもので割り、脳、舌が取り出され、頬肉がそぎ落とされた。
下あごにも多数の小さなナイフの切り傷が頭蓋骨には残っている。
他にも体をバラバラにし、脚などの肉を食べたという。
しかし、なぜ入植者とインディアンの関係は悪化したのか。
入植者は当初、インディアンから食料を購入する計画だった。食料を栽培する方法をほとんど知らなかったのだ。
購入にはイングランドから送られてくる物資も使う予定だったが、それがなかなか届かなかった。
入植者を乗せた船は嵐に巻き込まれ予定よりも長い間大西洋をさまようこととなり、食料が枯渇していたのだ。
最初の供給船が100人の新しい入植者とともに到着したとき、104人いたはずの入植者は38人になっていた。
多くは、ある病気にかかっていた。
入植者がジェームズタウンと呼んだ島は、インディアンが誰も住んでいなかった。
その理由は住んでみてわかった。
土は水はけが悪く、大量の蚊が発生する土地だったのだ。
そして、多くの入植者はマラリアで死んだ。
やがて、入植者たちはインディアンからの信用を失う。
インディアンから購入した食料を返済できず、いわゆる借金が貯まったとき、インディアンは敵対的になったのだ。
こんな事件もあった。
入植地の食料を運ぶ船が嵐で方向を失い、船長のジョン・ラトクリフはインディアンにコーンを売ってくれるよう頼むため川から上陸。
しかしインディアンのPowhatanらは、彼を捕らえ、生きたまま皮や肉を剥ぎ、それを焼いた。
その陰惨な殺害事件はすぐにジェームズタウンに伝わり、やがて彼らをこん棒と矢で殺すことになるインディアンの恐ろしさを実感したのだった。
インディアンは次に、カヌーで入植地の島を封鎖。
入植地は銃と大砲で応戦したが、インディアンは応戦せず、入植地を飢えさせる作戦をとった。兵糧攻めだ。
カニバリズムはこのときに起こった。
1610年5月、イギリスから現地近くに到着した船は、島がインディアンに囲まれているのを確認。そして、島には60名(300名中)が生き残っているのを確認した。
状況は絶望的で、見捨てるしかなかった。
しかし、船は途中で、入植地用に大量の食料を積んだ船と遭遇。入植地のリーダーとなるデ・ラ・ウォー卿とともに、ジェームズタウンを守るため引き返した。
そして、入植地は救われたのだった。
デ・ラ・ウォー卿はその後、カニバリズムの痕跡を隠すため、すべてを土や貯蔵庫に埋めたのだった(ジェーンの骨は貯蔵庫から見つかった)。
この悲惨な事件のあと、ジェームズタウンへの入植を計画した会社ヴァージニアは、入植を諦めた可能性もあった(西インド諸島に矛先を変える計画があった)。
そうなると、アメリカはフランス語やスペイン語の国になっていた可能性もある。
しかし、2年後にジョン・ロルフという男が入植地で始めたタバコ産業が成功し、ヴァージニア州とアメリカの将来は保証されたのだった。
アメリカの誕生の影にカニバリズムあり。である。
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