中尉だったジョン・ランドールが鉄のゲートをくぐったとき、のどかなカントリーハウスの入り口だと思った。
途中で道がカーブして、森の中に続いていた。
それは実に不気味な光景だったが、ランドールはその道の先に何があるのか探りたくなった。
「ちょっとその道を行ってみよう」
ジープを運転していた同僚に言った。
ジープは森の中をいく。ランドールは危険を感じ、ホルスターからピストルを抜いた。
やがて明るくなると、木造の平屋が並んでいるのが見えた。
そのまま彼を乗せたジープは平屋にたどり着く。
最初に彼は、親衛隊(SS)の警備員を見た。
普通なら撃つところだが、抵抗するそぶりもない。
目もうつろで、珍しそうにランドールともう一人のイギリス人を見ていた。
次に、小屋から出てくる集団を見た。彼らは、ぼろをまとっているか、裸だった。
彼らはランドールを見つけて、助けてくれと懇願した。
骨が浮き出て、黄色い肌をした彼らの集団は一気に膨れあがった。
あまりの臭いに吐きそうになるのを彼はこらえ、彼らにすぐに助けが来ると答えた。
15歳のハンガリー出身の少女は、弱っているにもかかわらず、窓から彼らを見つけて、外に出ようとした。
やがて女性と子供が彼ら二人を車から引きずりおろし、ある場所に連れて行った。
ランドールはそこがジャガイモ畑だと思った。
しかし違う。
それは死体の山だった。
その日は、1945年4月15日。
そのとき彼は知らなかったが、彼こそが北ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所に入った最初の連合軍兵士だった。
彼は、イギリス陸軍特殊部隊SAS。
歴史ではBrigadier Llewellyn Glyn Hughesという人物が解放者のように言われているが、実際は彼が最初だった。
その壮絶な現場を目にしたランドールは、現在94歳。
このときのことは、今まで公になることはなかったが、最近発売された著書で明らかになった。
ところで、このベルゼンの恐怖が明らかになったのは、あるジャーナリストの行動による。
ランドールの到着後、Richard Dimblebyという英国人ジャーナリストがベルゼンに入ったのだ。
彼はそこで見た惨状をBBCに伝えたが、BBCは彼の話を信じず、当初は報道しなかった。
彼は当時のことをこう語っている。
‘This day at Belsen was the most horrible day of my life,
I saw it all — furnaces where thousands have been burned alive.
The pit — 15ft deep — as big as a tennis court, piled to the top at one end with naked bodies.’
「このベルゼンの日は、私の人生で最も恐ろしい日だった。
私はすべてを見た。何千という人々が生きたまま焼かれた焼却炉。
15フィートの穴には、裸の死体が積み上げられていた」
遺体と排泄物が混じった臭いは数週間とることができず、その臭いで目を覚ますほどだった。
収容所には5万人の囚人と、1万3000の死体があった。
やがてこのキャンプの存在が明らかになり、アウシュビッツの解放へと続く。
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