「スターリンの息子は脱走兵だった」 ドイツの雑誌が発表
あのスターリンの長男は、脱走兵だったようだ。
息子の名前はヤコフ(ヤーシャ)。彼は1941年、仲間とともに、民間人の服を着て軍を脱走したという。
なぜそもそも、独裁者の息子が兵隊だったかというと、1928年にスターリンは息子ヤコフを「悪党」として勘当していたからだ。
親から離れて生きていたヤコフが軍に志願したのは1937年。1940年に中尉になり、1941年6月ヒトラーのバルバロッサ作戦では砲連隊司令官だった。
そして、脱走の日の7月9日、現在のベラルーシでヤコフは軍の撤退にあたって援護射撃を命じられた。
しかし、直後にヤコフは逃げ出し、ナチスに捕獲されてしまった。
「ナチスの捕虜」はスターリンにとって、まさに「反逆」そのもの。ましてや自分の息子が捕虜になるとは、考えたくもない。
ナチスに捕虜になった兵隊で、後にロシアに返された数十万人は、すぐにシベリアの刑務所に送られた。
25年という長期の刑。捕虜になることが犯罪とみなされていたからだ。
それほどの罪とされているのに、なぜヤコフは捕虜となったのか。
それらの秘密を明らかにするエピソードが、ベルリンの防衛省アーカイブに残されていた。
ヤコブ自らが語った軍脱走時のエピソードだ。
ヤコブによると、彼のユニットがドイツ軍に囲まれたとき、誰もが別々の方向に逃げようとして、完全なパニック状態になったという。
「誰も地図を持っていなかった。すべたがだらしなく、まとまりが悪かった。まったく戦争のための準備ができていなかった…」
逃げ出すのも、仕方がなかったのかもしれない。
しかし、捕虜になるのは、自ら望んでいた可能性がある。
彼と一緒に逃げた兵士の告白によると、民間の服に着替え、湖畔に到着したときにヤコフが「君は逃げ続けろ。僕はここで少し休む」と言ったという。
それは、自ら捕虜になるつもりだったことを示唆することだった。
彼ははたしてシベリアに送られたのか。
スターリンは周りに「息子は決して捕虜から逃げることはない」と言っていたようだが、息子がシベリアに送られた記録はない。
戦争が終わる前の1943年4月、ヤコフはベルリンで射殺されていた。
ザクセンハウゼン強制収容所から脱出しようと試みたときだった。
その後、スターリンの口から、息子ヤコフについて、最後まで語られることはなかったという。
もし息子が捕虜になったことが明らかになれば、シベリアに送られた兵が黙ってはいないからだ。
記事では、ヤコフが脱走兵になり、捕虜となった一連のストーリーを、「第二次世界大戦最後の秘密」として報じている。
長年明かされることのなかった防衛庁のアーカイブファイルにアクセスし、報道したのはドイツのシュピーゲル誌。
アーカイブはポドルスクにあり、勘当から兵の志願、脱走、捕虜などのヤコブの人生が記録されていた。
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