アメリカのサイトCarweekが、先月19日に亡くなったMr. Kについて記事にしている。
タイトルは、「Remembering a rebel: Yutaka Katayama, 1909 – 2015」。
フェアレディZの生みの親である、片山豊だ。
写真はthe Datsun 240Zの横に立つ片山氏。
紹介文には、「日本車をアメリカでプッシュした人物」とある。
彼はフェアレディZを生んだというより、ニッサンの車を全米で売ったセールスマンとして認められている(米国自動車殿堂入り)のだ。
「105歳まで生き、全米でダットサンとニッサンを売り、Mr. Kと呼ばれたレジェンド」と記事中で紹介している彼は、タイトルの通り「Rebel 反抗」から這い上がった人物だった。若い頃に日産内で反抗し、アメリカ送りとなっている。
しかしアメリカのロサンゼルスでダットサンを売り歩き、やがて米国日産初代社長となって(日本の反対派に勝利)会社をグローバルプレイヤーへと発展させた。
彼自身が2週間のビザを上手に使いこなしてアメリカ中を旅し、誰もがダットサン・ディーラー になれると説いてまわった。
新車ディーラーは相手にしてくれないので、中古車販売業者をまわってダットサンを置いてもらったという。
フェアレディZについては開発・販売企画し、日本での「Fairlady(ミュージカルのマイ・フェア・レディから)」という名前から、the 240Zとして売ることを決めた。
1970年、ロウ・プライスのスポーツカーとして240Zは爆発的ヒットとなった。
アメリカではts部分が子音なので、ダッツンと発音された。つまりダッツン・ズィーとなる。
「ダットサンのUSでの成功は、日産ブランドを日本の外へと押し出し、世界で最も強いブランドの一つへと昇華させた」(記事より)
ところで、ダットサンという名前は、今の若い人には馴染みがない。
オフィシャルサイトによると、
「1914(大正3)年まで遡る。1914年3月。橋本増治郎が主宰する東京・麻布広尾の「快進社自働車工場」は1台のオープンの四輪乗用車を完成。これにダット(脱兎号)と名付ける」
とあり、後に大阪で「ダット自動車製造株式会社」となり、ダットの部品を使った自動車を使っていたため、“son of DAT” という意味で「ダットソン」と名付けられた。
やがて損という名前が縁起が悪いということで、ダットサン(太陽のサン)へと変わった。
その後、ダット自動車製造株式会社を買収した日産(当時は製造業コンツェルン)鮎川義介によって、「日産自動車株式会社」が誕生した。
この頃の日本車は今見るとどれもオシャレなので、海外でも受け入れられただろうし、今復刻して最新機能を積めば売れるだろう。
しかし、「会社のグローバル化」を実現する力は並大抵ではない。
ただ、ただ感服。
オフィシャルサイトより Datsun 240Z
この形にこだわって今も作り続けていたら、ポルシェやミニのような個性と変化していったはず。
現行のZは日本で450万円ほどで高価。「メンテナンスが楽なスポーツカーを安価に楽しむ」というコンセプトは失われている。
片山豊
1909(明治42)年9月15日生まれ。静岡県出身。
1935年、日産自動車入社後、宣伝を担当。
1954年『第1回全日本自動車ショウ』(現・東京モーターショー)の推進役として活躍。
1960年に渡米し、米国日産の初代社長を務めた。
http://www.nissan-global.com/JP/HERITAGE/LEGENDS/
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